アメリカ版ノーベル賞とも言われるラスカー賞ですが、今年の基礎医学部門は、microRNAのパイオニア的仕事となった、二人の線虫遺伝学者、Gary RuvkunとVictor Ambrosに与えられ、そして、臨床部門は、日本人で初めて臨床部門での受賞となった、スタチンの遠藤章博士に与えられました。9/19号のCellの巻頭で、もう一人の受賞者、細菌学者のStanley Falkowと合わせて、その仕事と研究の歴史が紹介されています。microRNAにしてもスタチンにしても、最初の発見からブレークスルーに至るまで、紆余曲折を経てきています。発見の価値は、その後の多くの研究の成果によって、再評価され、そして研究界、医学界に大きな影響を与えるまでに成長してきました。研究の本当の価値を社会が認めるようになるまでには、長い時間がかかるのだなと思います。
microRNAという言葉が発明されたのは2001年ですが、microRNAを記載した論文は、上記の二人がback-to-backでCellに1993年に発表した、線虫の変異株に関する論文が最初で、Ambrosは、最初のmicroRNA, lin-4,をsmall temporary RNAと呼んでいました。当時、調節性RNAという概念でさえ、そう一般的でなかった時代に、主にGeneticsの手法を使って、この発生タイミングの異常をおこしてくる変異が、DNAでも蛋白でもなく、小さなRNAであることを示したのみならず、そのターゲット遺伝子を遺伝学的手法で同定し、全く新しい遺伝子発現調節の作用メカニズムを明らかにした、AmbrosとRuvkinのElegantな仕事は、現在のmicroRNA研究の土台を作り上げました。この二人はMITのHorvitzの研究室の出身で現在、RuvkunはMassachusetts General Hospital、AmbrosはHarvard, Dartmouthを経てUniversity of Massachusettsで、引き続き線虫のgeneticsを研究しています。microRNAの再発見のきっかけになったのは、2年前のノーベル賞となったRNAiの発見によります。1998年のAndrew Fire (現Stanford)とCraig Mello(University of Massachusetts)のRNAiの発見の後、そのメカニズムの研究の過程において、siRNAが発見され、それがmicroRNAの再発見とつながり、2001年のScienceで、MIT出の3グループ、Ambros, Tom Tuschl, David Bartelによって「microRNA」という言葉生まれました。以後、7年間に、microRNAの研究論文は3,500本という数となり、一日二本ずつ新しい論文がでているという現在の状況に繋がってきます。もしRNAiの発見がなかったら、microRNAは未だにマイナーな例外的現象として扱われていたかも知れません。しかしRNAiがノーベル賞となったために、RuvkunとAmbrosはsmall regulatory RNAのパイオニアであってもノーベル賞となる可能性はなくなったと思われます。
また、スタチンの遠藤博士の研究も、ノーベル賞となったゴールドスタインとブラウンのLDLコレステロール代謝の解明に加え、メルクがこの抗コレステロール薬を商品化してくれたおかげで、この賞に至ったものと思いわれます。遠藤博士は三共薬品の研究者で、コレステロールを下げる物質をカビから探すという研究で、目的通りにスタチンを見つけました。にもかかわらず、この発見が三共の薬とならず、メルクで日の目を見るという皮肉な結果となったのは、当時、コレステロールを下げることが動脈硬化の治療に有効であるという、確固としたデータが少なかったこと、コレステロールのような生理機能に重要な物質を人為的に下げればきっと凄い副作用が出るに違いないという妄信があったせいで、三共がゴーサインを出さなかったからではないでしょうか。一方、動脈硬化と高脂血症の程度が日本と比べものにならない大問題となっているアメリカでは、この新しい抗コレステロール薬への期待の大きさが、はるかにそのリスクへの恐怖を凌駕したのであろうと想像できます。結果、スタチンは革命的な高脂血症治療薬となり、成人病医療に多大に貢献し、莫大な経済効果をもたらしたのでした。もし、ゴールドスタイン、ブラウンの脂質代謝の研究がなかったら、あるいは、メルクが途中で開発から手を引いていたら、今日の遠藤博士の受賞はありませんでした。しかし、microRNAでのRuvkun、Ambrosと同様に、ゴールドスタイン、ブラウンが早々とノーベル賞をとってしまったので、遠藤博士がノーベル賞候補となることはないのではないかと思われます。
賞のことはともかく、いずれにせよ、今回の受賞者の人々は、microRNAやスタチンなどの非常に重要な発見に関われたことを、大変幸運なことだと思っていると思います。研究とは、砂漠の砂の中から磨き上げる前の宝石の原石を拾い上げるようなもので、成功は努力する者のところに偶然やってきます。失敗にはたった一つの条件がそろわないだけで十分ですが、成功には全ての条件がそろった上に、幸運が偶然訪れてくれなければなりません。今回のmicroRNAとスタチンがラスカー賞に至ったのは、最初に宝石の原石を拾いあげることができたことに加え、他の研究者や研究施設が再発見してくれたり、開発プログラムを作ってくれたり、といった外部の助けがあったからこそでした。原石を砂漠の砂の中から拾い上げること、そしてそれが磨かれて美しい宝石になるのを見ることができること、研究者冥利に尽きるとはこういう経験のことではないでしょうか。
追記
トランスジェニック植物でcosuppressionとしられる現象にsmall RNAが関与していることを明らかにして、植物のmicroRNAの開拓者となったイギリスのDavid BaulcomeもAmbros,Ruvkunとともにラスカー賞を受賞したことを、追記しておきます。また、AmbrosとRuvkunの二人は同じ業績によって、Massachusetts General Hospital (MGH)の賞である「Warren Triennial賞」も受賞しています。MGHの創始者で、世界初のエーテル麻酔による手術を行ったことでしられるJohn Collins Warrenに由来するこの由緒ある賞の受賞者の中から、これまで22名のノーベル賞受賞者が出ています。
microRNAという言葉が発明されたのは2001年ですが、microRNAを記載した論文は、上記の二人がback-to-backでCellに1993年に発表した、線虫の変異株に関する論文が最初で、Ambrosは、最初のmicroRNA, lin-4,をsmall temporary RNAと呼んでいました。当時、調節性RNAという概念でさえ、そう一般的でなかった時代に、主にGeneticsの手法を使って、この発生タイミングの異常をおこしてくる変異が、DNAでも蛋白でもなく、小さなRNAであることを示したのみならず、そのターゲット遺伝子を遺伝学的手法で同定し、全く新しい遺伝子発現調節の作用メカニズムを明らかにした、AmbrosとRuvkinのElegantな仕事は、現在のmicroRNA研究の土台を作り上げました。この二人はMITのHorvitzの研究室の出身で現在、RuvkunはMassachusetts General Hospital、AmbrosはHarvard, Dartmouthを経てUniversity of Massachusettsで、引き続き線虫のgeneticsを研究しています。microRNAの再発見のきっかけになったのは、2年前のノーベル賞となったRNAiの発見によります。1998年のAndrew Fire (現Stanford)とCraig Mello(University of Massachusetts)のRNAiの発見の後、そのメカニズムの研究の過程において、siRNAが発見され、それがmicroRNAの再発見とつながり、2001年のScienceで、MIT出の3グループ、Ambros, Tom Tuschl, David Bartelによって「microRNA」という言葉生まれました。以後、7年間に、microRNAの研究論文は3,500本という数となり、一日二本ずつ新しい論文がでているという現在の状況に繋がってきます。もしRNAiの発見がなかったら、microRNAは未だにマイナーな例外的現象として扱われていたかも知れません。しかしRNAiがノーベル賞となったために、RuvkunとAmbrosはsmall regulatory RNAのパイオニアであってもノーベル賞となる可能性はなくなったと思われます。
また、スタチンの遠藤博士の研究も、ノーベル賞となったゴールドスタインとブラウンのLDLコレステロール代謝の解明に加え、メルクがこの抗コレステロール薬を商品化してくれたおかげで、この賞に至ったものと思いわれます。遠藤博士は三共薬品の研究者で、コレステロールを下げる物質をカビから探すという研究で、目的通りにスタチンを見つけました。にもかかわらず、この発見が三共の薬とならず、メルクで日の目を見るという皮肉な結果となったのは、当時、コレステロールを下げることが動脈硬化の治療に有効であるという、確固としたデータが少なかったこと、コレステロールのような生理機能に重要な物質を人為的に下げればきっと凄い副作用が出るに違いないという妄信があったせいで、三共がゴーサインを出さなかったからではないでしょうか。一方、動脈硬化と高脂血症の程度が日本と比べものにならない大問題となっているアメリカでは、この新しい抗コレステロール薬への期待の大きさが、はるかにそのリスクへの恐怖を凌駕したのであろうと想像できます。結果、スタチンは革命的な高脂血症治療薬となり、成人病医療に多大に貢献し、莫大な経済効果をもたらしたのでした。もし、ゴールドスタイン、ブラウンの脂質代謝の研究がなかったら、あるいは、メルクが途中で開発から手を引いていたら、今日の遠藤博士の受賞はありませんでした。しかし、microRNAでのRuvkun、Ambrosと同様に、ゴールドスタイン、ブラウンが早々とノーベル賞をとってしまったので、遠藤博士がノーベル賞候補となることはないのではないかと思われます。
賞のことはともかく、いずれにせよ、今回の受賞者の人々は、microRNAやスタチンなどの非常に重要な発見に関われたことを、大変幸運なことだと思っていると思います。研究とは、砂漠の砂の中から磨き上げる前の宝石の原石を拾い上げるようなもので、成功は努力する者のところに偶然やってきます。失敗にはたった一つの条件がそろわないだけで十分ですが、成功には全ての条件がそろった上に、幸運が偶然訪れてくれなければなりません。今回のmicroRNAとスタチンがラスカー賞に至ったのは、最初に宝石の原石を拾いあげることができたことに加え、他の研究者や研究施設が再発見してくれたり、開発プログラムを作ってくれたり、といった外部の助けがあったからこそでした。原石を砂漠の砂の中から拾い上げること、そしてそれが磨かれて美しい宝石になるのを見ることができること、研究者冥利に尽きるとはこういう経験のことではないでしょうか。
追記
トランスジェニック植物でcosuppressionとしられる現象にsmall RNAが関与していることを明らかにして、植物のmicroRNAの開拓者となったイギリスのDavid BaulcomeもAmbros,Ruvkunとともにラスカー賞を受賞したことを、追記しておきます。また、AmbrosとRuvkunの二人は同じ業績によって、Massachusetts General Hospital (MGH)の賞である「Warren Triennial賞」も受賞しています。MGHの創始者で、世界初のエーテル麻酔による手術を行ったことでしられるJohn Collins Warrenに由来するこの由緒ある賞の受賞者の中から、これまで22名のノーベル賞受賞者が出ています。