百醜千拙草

何とかやっています

「硫黄島からの手紙」を見て

2008-12-09 | Weblog
柳田充弘先生のブログ「生きるすべ」に、この週末にデルスウザーラを見たことが書いてありました。私がデルスウザーラを見たのは、多分、中学生の時で、随分感動したことを覚えています。その後、見る機会がないので、映画の筋さえ忘れてしまいましたし、きっと、今、見たらそれほど良いとも思わない可能性も十分あります。大人になってから、黒沢明の映画を見るたびに思うのですが、黒沢作品はいつも、よくできていると感心はするのですが、なんだか優等生の答案みたいに、ツボが意識的にきっちり押さえられているところが、私には逆に気に喰わないのです。アメリカ人とかには受けるであろうとは思いますが、日本人が黒沢明の映画を見て本当に心から感動できるのだろうか、と思ったりします。黒沢作品でもいわゆる大作ではない名作と言われる、例えば、「生きる」とかを見ても、私にはわざとらしさみたいなものがちょっと鼻につくように気がします。デルスウザーラについては、柳田先生は、映画の内容よりもむしろ、「功なり遂げた監督がエコノミークラスに乗ってはるばるソ連、ロシアの辺境に出かけての長期に渡る映画づくり」をしたという事実に打たれると書かれています。そして、私と言えば、この週末、実は数年前のクリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」を見たのでした。監督が違う国の役者を使って外国の映画を撮るという点で、デルスウザーラと共通点があるように思います。黒沢明の日露合作がデルスウザーラなら、クリントイーストウッドの日米合作が「硫黄島からの手紙」というわけです。殆ど日本の俳優を使っての日本語での映画であり、第二次世界大戦の日米の戦いを、アメリカの監督が、硫黄島に見捨てられた日本軍の兵士の視点から描くという、極めて斬新といえる作品です。良い作品だと思います。しかし、現代のアメリカ人や日本人の精神構造やレベルを考えると、この作品の価値は十分には伝わらないだろうなと思います。商業的には成功しないタイプの作品でしょう。アメリカ人でパールハーバーは知っていても、硫黄島は余り知らないと言う人は多いのではないでしょうか。それでも、ワシントンDCのホワイトハウスを川越しに見下ろすバージニアのアーリントン墓地の傍の丘の上に立っている銅像 ― 四人の兵士がアメリカ国旗を立てようとしている ― 硫黄島記念碑、は観光スポットですし、銅像の写真は目にする機会がしょっちゅうあるので、名前を聞いたことのある人は多いだろうと思います。多分ここを訪れるアメリカ人の多くは、「これが、有名な硫黄島の銅像か、ふーん」と思って終わりでしょう。そうでない人でも、「アメリカ軍が一生懸命頑張って、太平洋戦争に勝利した、よくやったアメリカ軍!」と思うのが関の山で、敗戦国の、後援も物資も何もなく、負けるのがわかっていながら、逃げることも許されず、見捨てられた兵士たちが、どのような人生を送りどのような思いで武力で圧倒するアメリカ軍と戦ったのかなどというようなことに、思いを馳せる人はまず、皆無であろうと思います。
 自分の国は正しく相手は間違っている、戦争に勝ったから正しく負けたから誤っている、そのような単純バカな価値観は、たぶん心理的に受入れるのが簡単で居心地よいせいでしょう、残念ながら多くの人々が深い洞察もなく取り入れてしまいます。ボンベイでのテロ、911テロや、逆にイスラムに対する嫌悪感、ユダヤ人の民族殲滅活動、第二次世界大戦中にアメリカが日系アメリカ人に対して行ったようなこと、数え上げればキリがないほど、この近視的で安易な価値観は人間に取り付いて、「人間は皆、神の子で、地球は一つである」というより大きな構図から物事を考えることを阻んでしまいます。イーストウッドが「硫黄島からの手紙」で、一般アメリカ人や、多くの利己主義者や誤った正義感を振りかざす人に対して言いたかったことは、そういうことなのではないでしょうか。それにしても、このマカロニウエスタンの俳優が監督となってから見せ続けている深みのある人間と社会への洞察には、感嘆すべきものがあると思います。
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