百醜千拙草

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現金と信用、Golden Parachute

2008-12-12 | Weblog
ちょっと前に「不渡りさえ出さなければ会社は潰れない」ということを誰かが書いているのを読んだ話を書きました。冷静に考えれば当たり前の話ではあるのですが、その後、あるブログで、会社が倒産するのは資金繰りが不可能になり、するべき支払いができなるからである、そして、資金繰りは手元の現金と融資によって決まるので、会社経営で最も大切なものは「現金と信用」である、とあるのを目にしました。これも、当たり前といえば当たり前なのですが、最近の詐欺まがいの取引が跋扈する株式市場という博打場でのマネーゲームを見ていると、「現金と信用」が大切だと思っている金融業界の人などいないのではないかと思わされます。昨今のアメリカのニュースの話題は、金融機関についでオートメーカーの「Bailout(財政的救済措置)」についてです。Bailoutは今年トップの流行語間違い無しですね。現在、アメリカの三大自動車メーカー、GM、フォードとクライスラーが倒産の危機に陥り、アメリカ政府に資金調達を懇願中で、政府も資金注入はやむを得ないという方向で合意に達しつつあります。金融、自動車産業といった現代アメリカの大産業の倒産は、そこで働く人のみならず、一般アメリカ人の引退資金の投資活動などにも深く影響を及ぼすので、政府としても見殺しにするわけにはいかないという事情があります。ハウススピーカーのナンシーペローシは、「(これらの産業は)皆が散髪してもらっている床屋のようなものだ。(だからなくなると皆が不便を被る)」と述べています。しかし、これらのアメリカの自動車産業を企業経営の立場からみると、「現金と信用」はともに乏しく、本当に倒産一歩前であることがあらためて実感されます。性能、デザイン、信頼性、何をとっても、現代のアメリカ車が一般消費者にアピールするものは余りないと思います。20年以上も前から、消費者は性能や価格やスタイルから、日本車やドイツ車を選んできており、アメ車離れが進んでいるのに、ビッグ3とやらは、きっと70年代以前の古き良きアメリカの頃とどうも同じメンタリティーのままで、誰でもいつかはキャディラックやリンカーンを所有したがるはずだと思い込んでいるかのように、時代遅れの自動車製造を大きな反省もなく継続してきたのではないかに思います。昔ならキャディラックやリンカーンを買おうという人でも、今ならベンツやレクサスを買うでしょう。今のアメリカ自動車産業には全く明るい未来が見えません。アメリカ自動車産業は謙虚に消費者の声を天の声と受け止めて、むしろゼロからやり直すべきでしょう。政府がいくら資金を注入しようと、それはほんの姑息的治療以上の効果はないでしょうし、自動車産業およびいくつかの大手の金融機関の倒産は不可避であろうと私は思います。よって、政府がすべきことは、これらの産業の急な倒産が社会や市場におこす混乱をできるだけ小さく留め、穏やかに幕をおろすことができるように、当座の手助けをすることであろうと思います。
 こういう大企業の経営陣というのは、中小企業のオーナーと違って、単に高給でやとわれている契約社員というような場合が多く、彼らの第一のモチベーションは会社の健全な運営とか社員や顧客ではなく、彼らの契約金や会社を辞めるときに支払われる「Golden Parachute」とよばれる莫大な退職手当てなわけで、そういう人は、船が沈みかけたら、如何にうまくその沈みかけの船から金目のものを持ち出して逃げ出すかということばかり考えていたりします。それで、今回の自動車産業への政府の資金注入の条件の一つは「Golden Parachute」の禁止でした。つまり、救済に注入される国民の税金を、退職者が奪って逃げるようなことが起こらないように釘をさしたものです。政府がこんなことまで言わないといけないほど、アメリカ産業の経営モラルの低下と拝金主義がはびこっているということを示していると思います。例えば破綻したリーマンのCEOは年間平均50億円近い報酬を受け取っていたわけで、そうした人の退職にあたって年棒の数倍の退職手当てを潰れかけの会社が出したりしたら、それこそ泥棒に追い銭というものでしょう。そもそも、企業でのGolden Parachuteはパブリックの会社で敵対的買収を阻止するためのストラテジーで、会社が買収されて取締役を解任されそうになった場合に、高額の退職手当ての支払いを義務づける契約をあらかじめ締結しておくことで、買収へのモチベーションを下げるためものです。ポイズンピルと言われる敵対買収への対抗手段と同様、「買収したら、会社の価値が下ってしまうぞ」と買収相手を脅かすのが目的のもので、本来実行されないことを想定したものです。それでも、万が一買収された場合に、会社から飛び降りる際に使うお金でできたパラシュートというわけです。ですので、そんなものが倒産目前の自動車メーカーに必要ないのは当たり前です。

ところで、「現金と信用」というのは研究業でも、そのまま当てはまるなあと思いました。研究者で「研究費が欲しい」と思わない人はいないでしょう。研究費が乏しくなって来たときに頼れるのは信用で、どれだけよい仕事をやってきたかという過去と現在の行いで、それによってポジションや研究費獲得やBailoutが可能になります。あるいは「現金と信用」は、あらゆる社会活動の基本ではないかと思ったりします。経済活動を目的としない場合は、現金よりもむしろ「信用」にストレスをおきたいと思います。信用は「向上心と努力を忘れず誠実にやる」ことを続けることによって、少しずつ得られるものだと思います。それで、私が研究者をクビにならないために必要であると思った「向上心と努力と誠実さ」というのは、つまるところ、研究者としての「信用」を築くための方法であったのだなと気づいたのでした。
 研究者にはGolden Parachuteにあたるものはありません。働くのを止めたら、はいそれまでよ、という健全な世界です。人間、毎日一生懸命働いて、流した汗で糧を得る、そういう生活ができることが、きっと最も幸せなのだろうと思います。働きたくても仕事がない人もいっぱいいます。働くのを止めると逆に巨額の手当てを貰えるような制度が許される世の中というのは、おかしいです。(Golden parachuteなどは、マネーゲームに実業が翻弄される例ですね。わざわざ、会社の価値を下げるためのシステムなのですから)
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