百醜千拙草

何とかやっています

何かできること

2008-12-02 | Weblog
ちょっと、パーソナルな話で、ここに書くに適切かどうか分からないのですが、実は、ついさっき、知り合いの悪いニュースを知って、動揺しています。まだ30歳なのですが、癌が見つかり、手術と化学療法によるかなりアグレッシブな治療を行っているとのことでした。

昔、病院勤務中は、多くの進行がんの患者さんを受け持ちましたが、やはり若い進行がんで亡くなっていた人のことを思い出すと、いまでも胸を突かれるような気持ちになります。医療従事者と患者としての立場は、それでも、肉親や知り合という関係よりはまだましです。毎日、やることが沢山あります。検査や治療の計画をつくり、データを解析し、薬を処方し、そういうことをしている間に時間が過ぎていって、その若い患者さんが死に向かうプロセスを歩んでいくということに真正面から(心理的な意味で)向き合う時間は実はそんなに多くないものです。それでも、研修医の一年目に最後を見送ることになった26歳の女の子のことはよく覚えています。未だに後悔が胸を刺すことがあります。当時、末期がんの患者さんには病名を伏せるということがよく行われていました。その患者さんも良性の血液疾患ということで、入退院を繰り返していましたが、あるときカルテの本当の病名を見てしまいました。私が引き継いだ時は、医療に対する不信感や慢性病への欲求不満なので、口は普通にきいてはくれはしたものの、心を開いてくれることはありませんでした。あたりさわりのない話と検査や治療の計画や結果などの事務的な話のほかに多くしゃべったことはありませんでした。検査の結果はずっと悪かったのですが、悪いなりに安定していて、何となくこのまま、私の担当期間が過ぎていくのではないかと思い出していた頃、発熱しました。喉が痛いというので覘いてみると、扁桃が壊死していました。白血球の極度の減少時におきるAnginaというやつでした。それから数日後の夜、病室で少し息苦しいというので、呼ばれたとき、彼女は妙に怯えていました。酸素マスクを気休めにつけて、病室を去ろうとしたとき、「怖い、怖い」と言い出したのでした。私はその声の調子が普段とは違うとは思ったのですが、しばらく脈を診て、「大丈夫、大丈夫」と言って安心させようとしました。苦しかったらコールするようにといって、病室を後にして詰め所に戻りました。「ちょっと普段と違うな」としか思わなかったのは、後から考えても私の感受性が鈍すぎたと思います。それから15分もしない内に病棟を巡回していた看護婦さんが、彼女の呼吸が止まっていることを知らせに来たのでした。振り返れば、彼女が「怖い」と繰り返したとき、唯一誰かができたことは、そこに一緒にいてあげることだったのだと思います。年令も余り変わらない、友達であったかも知れないような、彼女と私は患者と主治医というビジネス関係でした。お互いにそういう立場で接していたのではないかと思います。最後の最後に、私はもっと人間らしい、医者らしいことをするチャンスが与えられたのに、それに気がつかなかったのでした。あれから随分年月が経ちました。私は長らく主治医として重い病気を持つ患者さんに接するということをしていませんが、それでもあの駆け出しのころのことをいろいろ思い出しては後悔することが未だに絶えません。

闘病中の知り合いには病気になってから直接会ってはいないので、どういう状況なのかよくわかりません。話からすると末期がんではないようですが、それなりに進行はしていたようで、予断を許さない状況のようです。治療に関しては、私にできることは何もないのですが、あの研修医だったときの晩のように、何もできなくても横についているだけでも何らかの意味があるのなら、何もできないなりにできることは何かあるのでは、と考え出しています。とりあえず、祈りを込めてカードを書きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする