百醜千拙草

何とかやっています

縮小への転換を望む

2009-05-05 | Weblog
ニュースによると、政府の試算だと、20 - 30年後には、年金の積立金は枯渇し、年金制度が崩壊するそうです。そのころに生きていたら、私も引退を考えているかも知れませんから、折角、払ったのに年金はほとんど貰えないということになるかも知れません。その可能性はかなり高いと思いますし、試算してみるまでもなく、アメリカの例などを考えても、日本の経済成長と生産人口の減少を考えると、お役所が運用する年金制度が崩壊しない方がおかしいと思うのが普通でしょう。401kのような個人運用による引退後資金の積み立てに税的優遇処置を与えることを考えているそうですが、これまでの杜撰な年金管理を考えると、引退後資金の税制優遇をさっさと導入して、年金制度を廃止してもらった方がよいような気がします。結局、今は国民全員、年金の積立義務があるわけですが、これは積み立てとは言えないと思います。私たちの年代が引退するころには、積立金は残っておらず、支払額もおそらく積み立てた額の数分の一ぐらいしかもらえない可能性があるわけですから、それなら、タンスに貯金しておく方がよっぽどましだと思います。
 私は日本の将来にはかなりの不安を持っています。戦後の日本は目覚ましい勢いで経済成長し、バブル崩壊直前には、世界第ニの経済大国となり、そして下り坂にかかりました。勢いにのって、拡大するのは簡単ですが、うまく縮小するのは難しいです。戦後の高度経済成長とその後のバブルの夏の間に、日本政府は冬への備えを怠っていたと思います。現在でも、日本をダウンサイズしようという意見が余り見られないのは、私には不思議に思えるのですが、そもそも、ダウンサイズをどういうように行うのがよいのか、誰もよいアイデアがないのでしょう。その点、イギリスやその他のヨーロッパ諸国のように隆盛と没落を経験した後に比較的落ち着いた社会を達成できた国々に学ぶものがあるのではないでしょうか。
 先日、クライスラーがついに破産しました。GM、フォードも時間の問題です。その敗因は、これらの大自動車産業が、日本やその他の外国の自動車メーカーとの厳しい競争の中において、うまくダウンサイズして、ニッチを確立することができなかったのが原因と思います。調子が良かった時にどんどん拡大して、巨大な生産、販売網を一旦作り上げてしまったら、それを自ら削減していくことが、心情的にも困難なのはよく分かります。しかし、収入が減って家のローンが払えなくなったら、正しい選択は、借金してまでもローンを払い続けることではなく、家を処分して少しでも負債額を減らし、体力の回復を図ることではないでしょうか。日本は経済成長の時代から、親方日の丸で、国民から金を巻き上げて、役人が浪費してきました。それでも、経済が上向きであった時には、社会はそれなりに回っていました。現在、生産人口が減少に向かい、老齢化し、貧困化が進む日本で、過去六十年に渡って国がやってきたようなことを続けることはできません。やらねばならない事は、うまく所帯を小さくして、体力回復を図ることでしょう。それには、まず社会的な弱者の救済を図り、社会をlow keyながらも安定したものにすること、再び一億総中流(あるいは中の下)というような社会構造を作ることではないかと思います。体力が落ち、格差が開いている状態で、大企業優遇によって雇用を拡大するという現在の政策は、かなりの危険を伴います。外国企業との競争は激しくなっていますから、体力も無いのに拡大路線を目指せば、どこかでコケます。経済活動を含めた社会全体の縮小化を目指し、日本の人口や社会にあった規模の安定した経済活動を目指す(ヨーロッパ諸国のように)のが、長期的にはよいと思うのです。
 年金制度が2-30年で破綻することが分かっているのなら、行き着く所まで行って破滅する前に、何とかしようとするのが、人間の智恵です。このままでは年金システムは、アメリカ自動車産業のように、自転車操業に陥り、結局、自滅する運命にあるのがよく分かっているのに、現状維持、自転車操業路線でしか思考しないのは何故でしょうか?(書いていて気付きましたが、自動車産業の自転車操業というのは悲しいものがありますね)
 そう言えば、関西人はどんなに住みにくくても関西から出たがらない、と脱関西した先輩が言ったのを覚えています。捕まえられて、喰われるのが分かっていながら、居心地のよいたこ壷からでられないたこに喩えて、「関西たこ壷主義」と呼んでいました。たこ壷主義は後ろ向き政策です。「Status quo」という言葉にはネガティブな含意があります。
コメント
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