この月曜日はアメリカではMemorial Dayで、過去、戦争で犠牲になったアメリカ軍人を偲ぶための祝日で、各地でパレードが行われます。独立記念日もそうですが、パレードや儀式では、大砲が打ち鳴らされ、兵器を帯びた人々が行進します。私は、儀式であれ何であれ、兵器を気軽に持ち出す、このメンタリティーに拒否反応を感じてしまいます。我が家では、おもちゃであっても鉄砲や剣は禁止しています。私にとって、それらは不吉な意図に沿って作られた不吉なものだからです。老子も、「兵は不祥の器にして、君子の器にあらず」と言っています。やむを得ず、兵を扱わねばならないときは、不祥の器であることを十分意識して戒めよ、という教えですが、アメリカ人一般には、どうも、そうした感覚が大変希薄なようで、史上最低の大統領ブッシュの言動からも明らかなように、「戦争で敵を倒し、自国を守るのは正しいことである」とでも思っているようです。国益のために、国が戦争
を美化し、アメリカ国民を操作する必要があるのは分かりますが、私からすると、これは全く禍の種を自ら育てているのに他なりません。軍事クーデターは未だにあちこちで起こってきていますし。アメリカ人には、「国破れて、山河あり」という言葉は理解不能なのかもしれません。また、Memorial Dayが良くて、靖国参拝が問題であるというのは、主には戦勝国と敗戦国であるという立場の違いでしょうが、日本人の戦争そのものに対する嫌悪感もあるのではないでしょうか。
さて先日、19歳のアフガニスタン駐在兵士、ザッカリー君は、寝込みを敵に襲われ、ピンクのパンツに赤の「I love NY」Tシャツ、突っ掛け履きのまま、戦闘に参加したところ、担当報道カメラマンに写真を撮られて、NYタイムズの一面に登場しました。
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=104493189
マンガのような実話ですけど、この写真を見ると、普通はプッと吹き出してしまうと思います。戦場という生死の危険を伴った緊張の場所で、ピンクのパンツと突っ掛けで戦っているというアンバランスが可笑しいです。でも、昔の日本の武士だったら、切腹ものだったかも知れません。兵士たるもの、いつでも敵の襲撃に対応できるように、準備が出来ているべきで、ピンクのパンツと突っ掛けで戦場に出るとは何事か、という意見もあることは十分想像できます。十分準備できていない体制で戦場に出ることは、自らの身のみならず、味方を危険にさらし、任務の遂行を妨げる可能性があります。本来、軍隊の兵士は機械の部品であらねばなりません。軍というチームが勝利するためには、機械の部品としての機能が優先されなければならず、兵士の人間性は抑えられなければなりません。だから、私は軍隊と聞いただけで、嫌悪感を感じてしまいます。軍隊式の訓練を売り物にする私立中学校がありましたが、軍隊式訓練自体がとんでもない悪い教育であると、私は思います。国のために喜んで死んでいってくれる、自分の判断を停止できる、ロボットのような人間をつくる、そんな教育を戦前の日本は行っていました。そんな子供に洗脳的教育を行う(最近でも日本の社会科教科書の戦争美化の改ざん問題がありました)のは極悪犯罪であると私は思います。アメリカの軍隊でも、機械の部品となるトレーニングはもちろんされますが、入隊する人の動機は、主に金銭的なものであって、自動車工場に就職するのと感覚的には変わらないのだろうと思います。
ピンクパンツの兵隊さんの写真、私も見て、にやにやしてしまいました。戦場であれ、兵士であれ、人間はやはり人間であり、そこには生活があって、飯を食ったら眠くなって、Tシャツ、パンツ一丁で寝る、いくら敵を殺傷することが求められていても、ハートマークのついた「I love NY」シャツを着てくつろぐ、兵士もそんな人間なのである、というメッセージを感じます。多くの人が、この写真を見て、つい笑ってしまうのは、機械の部品たるべき兵士の人間性が、そこに余りに鮮やかに現れているからではないでしょうか。
私は人間第一主義で、反国家主義、反愛国主義なので、この際、アメリカ軍のユニフォームは全部、ピンク色にして、胸にはピースマークでももつけてもらったら、タリバーンの攻撃意欲もなえるのではないか、と思ったりするのですけど
戦争をなんとか、戦争ごっこのレベルにできないものだろうか、と思います。
追記、リンク先の「Real Men Wear Pink Boxers」の解説で紹介されるザッカリー君のお母さんの談が、おかしいです。
「私は、いつも、ズボンをしっかり上げてなさいと言っていたのよ、子供たちにはWedgie*までしていたものよ、それでも、この子はいつもパンツ一丁でうろちょろしていたわ」
* WedgieについてはWikipedia をご参照ください。
さて先日、19歳のアフガニスタン駐在兵士、ザッカリー君は、寝込みを敵に襲われ、ピンクのパンツに赤の「I love NY」Tシャツ、突っ掛け履きのまま、戦闘に参加したところ、担当報道カメラマンに写真を撮られて、NYタイムズの一面に登場しました。
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=104493189
マンガのような実話ですけど、この写真を見ると、普通はプッと吹き出してしまうと思います。戦場という生死の危険を伴った緊張の場所で、ピンクのパンツと突っ掛けで戦っているというアンバランスが可笑しいです。でも、昔の日本の武士だったら、切腹ものだったかも知れません。兵士たるもの、いつでも敵の襲撃に対応できるように、準備が出来ているべきで、ピンクのパンツと突っ掛けで戦場に出るとは何事か、という意見もあることは十分想像できます。十分準備できていない体制で戦場に出ることは、自らの身のみならず、味方を危険にさらし、任務の遂行を妨げる可能性があります。本来、軍隊の兵士は機械の部品であらねばなりません。軍というチームが勝利するためには、機械の部品としての機能が優先されなければならず、兵士の人間性は抑えられなければなりません。だから、私は軍隊と聞いただけで、嫌悪感を感じてしまいます。軍隊式の訓練を売り物にする私立中学校がありましたが、軍隊式訓練自体がとんでもない悪い教育であると、私は思います。国のために喜んで死んでいってくれる、自分の判断を停止できる、ロボットのような人間をつくる、そんな教育を戦前の日本は行っていました。そんな子供に洗脳的教育を行う(最近でも日本の社会科教科書の戦争美化の改ざん問題がありました)のは極悪犯罪であると私は思います。アメリカの軍隊でも、機械の部品となるトレーニングはもちろんされますが、入隊する人の動機は、主に金銭的なものであって、自動車工場に就職するのと感覚的には変わらないのだろうと思います。
ピンクパンツの兵隊さんの写真、私も見て、にやにやしてしまいました。戦場であれ、兵士であれ、人間はやはり人間であり、そこには生活があって、飯を食ったら眠くなって、Tシャツ、パンツ一丁で寝る、いくら敵を殺傷することが求められていても、ハートマークのついた「I love NY」シャツを着てくつろぐ、兵士もそんな人間なのである、というメッセージを感じます。多くの人が、この写真を見て、つい笑ってしまうのは、機械の部品たるべき兵士の人間性が、そこに余りに鮮やかに現れているからではないでしょうか。
私は人間第一主義で、反国家主義、反愛国主義なので、この際、アメリカ軍のユニフォームは全部、ピンク色にして、胸にはピースマークでももつけてもらったら、タリバーンの攻撃意欲もなえるのではないか、と思ったりするのですけど
戦争をなんとか、戦争ごっこのレベルにできないものだろうか、と思います。
追記、リンク先の「Real Men Wear Pink Boxers」の解説で紹介されるザッカリー君のお母さんの談が、おかしいです。
「私は、いつも、ズボンをしっかり上げてなさいと言っていたのよ、子供たちにはWedgie*までしていたものよ、それでも、この子はいつもパンツ一丁でうろちょろしていたわ」
* WedgieについてはWikipedia をご参照ください。