百醜千拙草

何とかやっています

暴言と公僕意識

2011-07-08 | Weblog
傲慢な言動で速攻で辞任となった松本復興大臣の言動について、ネットでは賛否両論あります。なぜ両論かは、数日前の「内田樹の研究室」にある通りだと思います。要は、言葉の内容が必ずしも悪いのではなく、言い方がまずかったということです。

「天は自ら助けるものを助く」というのは、どのようなコンテクストにおいても事実です。「知恵を出さないヤツは助けない」というのは、地方の当事者としての責任の自覚を促すという意味では当然の考え方です。「客を待たせた」発言も、当事者として自覚が足りないことを指摘したという意味では、理解できます。

ただ、人間は感情の動物であり、理屈では動かない、という別の真理に対する配慮が足りなかった、つまり、「口のききかたが悪かった」というのは、全員一致の意見ではないでしょうか。もちろん、私個人としては、例えやる気が余っての勇み足であったにせよ、あるいは何らかの戦略的意味があったにせよ、このようにエラそうに上から怒鳴りつけるようなことをする「徳」に欠ける人間はダメです。

新聞記者を恫喝して、「書いたら、アンタの社は終わりだから」といったのが、冗談であったのかどうか、私は知りません。こういう権力を嵩に着て脅すような物言いいを聞いて「ヤクザ大臣」だという意見も聞きます。しかし、それなら、「口のききかたが悪い」という非難も、ある意味、ヤクザの理屈なのだというあたり、われわれにも多少の自覚があってもよいでしょう。ヤクザのいちゃもんはわざと本質とは関係のない枝葉末節を上げつらうものです。

この方の言動のウラにどのような意図があったのか、興味深いです。なにしろ、間もなく総辞職になる予定の「空きカン内閣」で、誰も引き受け手がなかった最も責任が重い大臣職をわざわざ引き受けたということからして、興味を引かれます。誰もやらないのなら、オレががんぱるしかない、と思って引き受けたのなら、その復興への意欲が強すぎてつい言い過ぎたということも考えられるでしょう。「知恵を出さないヤツは助けない」という言い方は、傲慢に聞こえますが、良くとれば「オレたちもがんばるからアンタたちもがんばってくれ」という意味で言ったのだろうと想像できます。実際にそういうように言ったなら、非難されることもなかったでしょう。あるいは、本当に単にarrogantで状況を理解できない人だったのでしょうか。まさか、ワザと失言して空きカン内閣のサボタージュを引き受けた訳ではないでしょうし。

しかし、この人が本音で語っているのなら、私は、ウソをつきまくる空きカンよりは買いますね。ウソで塗り固められた巧言令色よりも、言葉は悪くても本音で語ってくれたら、物事は少なくとも、前に進みます。また、私がこの事件で良かったと思ったのは、インタビューの記者を「書いたら、社は終わりだからね」と脅したという事です。こう言われて、書かない記者はいないでしょう。「書くなと脅した」というのは、冗談のつもりだったか、脅せば書かないと本当に思ったか、あるいは、本当は書いて欲しかったか、のどれかでしょう。いずれにしても、「現職大臣が記者に書くなと脅した」というニュースが一般国民に与えるインパクトはそれなりにあったと私は思います。権力者がマスコミに情報操作をかけている証拠だ、と思う人も出てくるでしょう。ならば、マスコミの言うことをそのまま信じるべきでない、と考え出す人もでてくるでしょう。

「客を待たせるな」発言をきいて、沢庵和尚の言葉を思い出しました。(ひろさちやさんの本から)
「この世の人、客にきたとおもへは、苦労もなし」
つまり、人間はこの世に客としてやってきたのだから、不味い食事を出されたときも、褒めて食べなければならないし、夏の暑さも冬の寒さも、こらえねばならない。孫も子も兄弟も相客だと思って、仲良くくらして、あとに心を残さずにおいとましなければならない、ということです。

客が主人に向かって「客の迎え方」について文句を言うときには、客の方も「客の心構え」もわきまえるべきだと私は思います。

ただし、この場合、どうも知事側にも問題がありそうです。大臣の口の聞き方が悪いが、知事の態度も悪かったわけです。そもそも、この大臣も知事も本来、県民、国民につかえる公僕です。この事件、言ってみれば、召使いどうしがケンカして主人たる国民、県民の不利益になるような結果になったのですから、やっぱり二人ともダメです。彼らは国民、県民のために働く「humble servant」であるという自覚が足りないのではないでしょうか。
コメント
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