百醜千拙草

何とかやっています

恐怖と怒り

2013-08-13 | Weblog
「怒らない」人間になるべく、日々、トレーニングしております。仏教では怒りの種類は何十もあるそうで、もっとも手なずけるのが難しい感情なのだそうです。上から二番目にエラい人になっても怒りは残っているのだそうです。怒りのスイッチというものはちょっとしたことでポンと入ってしまいます。自分が怒りつつあるということを自覚できれば、怒らないことは割は簡単なのですが、フイをつかれてツボを押されてしまうようなことがあると、怒りを自覚してコントロールする余裕がないことも多いです。私の場合、大抵の怒りは何らかの「恐怖」に根ざしていて、その怒りの元である恐怖を理解していると大丈夫です。しかし、どうも「恐怖」だけでは説明できない怒りもあるような気がします。そういうタイプの怒りは厄介です。日本の政府やマスコミに対する怒りは、彼らが己の保身と欲のために、力を使って日本を破壊し国民を蹂躙しようとしているという「恐怖」に基づいているのは間違いありません。でも彼らに対する怒りそれ以上の何かがあるような気がします。とくにマスコミのやり方に対する嫌悪感、マスコミが個人を攻撃するやりかたには、無線飛行機で民家を爆撃するアメリカ軍のような、卑怯きわまりない汚らしさを感じずにはおれません。彼らに対する私の怒りの原因がもし「恐怖」だけなのであれば、「カネのためなら人間が人間性を捨て去れる」という日本人の善なる性に対する私の信頼の根拠を失うことへの恐怖でしょうか。最近の山本太郎氏へのマスコミの攻撃を見てそう感じました。

山本太郎氏に対して始まった攻撃に、私は怒りを覚えずには居れません。先日にアップした広島でのオリバーストーン氏の言葉の通り、戦後日本の政治家で、国民のために立ち上がった政治家は悲しくなるぐらい少ないです。生活の党が潰された今、現在の国会議員で、国民の権利と安全と財産を蝕むこれまでの既得権組織の脅威となりえるのは多分、この人、1人でしょう。もちろん、1人では何もできません。しかし、彼のひた向きさと権力に立ち向かうことを恐れない勇気は、国民一人一人に訴えます。権力側がもっとも恐れるのは国民が団結することですから。議員の数がなければ力が発揮できない小沢一郎氏は今は政治的な影響力は残念ながら、かなり小さくなってしまいました。山本太郎氏も数的には1人で、しかも参議院議員です。議員としてできることは限られています。しかし、国民の圧倒的な支持があります。われわれがまず第一に目指すべきは、この支持をもっと広げて行くこと、そして、その要にいる山本太郎氏を国家権力の暴力、ワナ、ネガティブキャンペーン、暗殺などから守ることだと思います。そのためには、多くの人々が連続して、彼の活動を注目していくこと、一人でも多くの賛同者、味方を増やしていくことだと思います。

というわけで、いつも、読む度に感心する「反戦な家づくり」の記事をまたリンクしたいと思います。

一郎+太郎=日本の未来 が逆証明されている

山本太郎さんへの攻撃は、日に日に激しくなってきた。
予想されたこととは言え、そのスピードは異常に速い。

今のところ週刊誌でのゴシップ的な話だが、たぶん告発して裁判に持ち込む自称市民団体がすぐにでもあらわれるだろう。それどころか、検察の暴走のほうが早いかもしれない。
太郎さんにこれからおきることは、ほぼ予測できる。それは、小沢一郎さんを巡って、これまでの4年間におきたことそのままだからだ。
、、、
では、なんで小沢一郎と山本太郎は、露骨な弾圧にさらされるのか。
それは、明らかに彼らは共産党や社民党とは「ちがう」からだ。

「ちがう」のは、以下の三点だ
1.体制を変える気があるかどうか
2.それが本気かどうか
3.それに現実味があるかどうか

この三つの条件がそろったとき、「平和」に見える日本の様相は一変する。
マスメディアが先鞭を付け、検察・警察が牙をむき、裁判所までが一体になって襲いかかってくる。
これは、2009年からの陸山会事件の実相を知っている人ならば、誰もが実感したことだ。

共産党や社民党がなぜ弾圧されないのかというと、その主張は同じでも、1~3の条件がないからだ。
彼らは、自民党政権下にあって、少しでも庶民の暮らしをマシにしようと努力しているのであって、政権そのものをひっくり返そうとは思っていない。
思ってもいないからもちろん現実味もない。

そのような体制内で生活改善するための努力も必要なのであって、彼らの存在を否定するものではないが、しかしあくまでそういう存在なのだ。
自民党にしてみれば、鬱陶(うっとう)しいけれども脅威ではない。

ところが、小沢一郎と山本太郎は、そうはいかない。
共産党や社民党に対しては、言うことを聞いてやらなくても、「~~反対」「~~べきだ」という正論を延々と繰り返すだけだが、一郎と太郎は、「聞かぬなら聞かしてみせよう」と動き出す。
小沢一郎は政権を本気で取りに来るし、山本太郎は温和しいはずの日本人の心に火を付ける。

■■

私は東京までは行っていないのでハッキリは分からないが、ネットや動画で見る限り、なんと言っても太郎さんの演説の力が大きかったように見える。
つまり、言葉が届いている。

一方で、山本太郎さんは、政治は素人だ。

永田町と選挙を知り尽くしている小沢秘書軍団にこそ、山本太郎防衛隊をお願いしたい。
もしそれができずに、この危急存亡の時に小沢さんの顔だけ見ている秘書や側近では、これからの時代は戦えない。
太郎さんも、被弾圧の先輩である小沢氏に、直接教えを請い、協力を依頼すべきだ。
丸腰では、たたかい始める前に蜂の巣だ。

この連携が成立し、そこに体制内とはいえ良識ある社民党などが合流すれば、まだまだ微々たる勢力とは言え、動き始める核はできる。
一気に問題が解決する明るい未来は見えないけれども、細く険しくても先へと続いている道はみえてくる。
それが、未来だ。未来はある。


もう一つ。チェルノブイリの時のソ連の対応(それでも十分とは言えませんが)に比べて、フクシマ事故の政府と東電の対応は余りにひどい、という暗黒夜考からのエントリー。全くその通りだと思います。

チェルノブイリ原発事故ドキュメンタリー番組を通して振り返るフクシマ原発事故を巡る日本政府の対応
フクシマ原発事故から2年以上が経過した今のフクシマを取り巻く現状をみれば、旧ソ連と日本、どちらがマトモかは自明であろう。
福1の収束作業については、東電・経産省・政府が未だに多くの隠蔽工作を繰り返し、ここ直近の高濃度汚染水問題ひとつをみても、事態は収束するどころか悪化する一方である。
そして何よりも酷いのが、原発周辺住民に対する対応である。
旧ソ連では市民の健康・安全の確保が第一とされ、たったの2年で「スラブチチ」を建造することにより、避難住民に”安住の地”と、何よりも生きていくうえで一番重要な”希望”が与えられているのである。
一方の日本はと言えば、フクシマ原発が未だ危機的状況であるにも拘らず、周辺住民の避難・移住を促すどころか、それとは逆に、「除染」なるマヤカシを弄して、未だ高い放射線量が残る街に市民を帰村・帰還させるという”非人道的行為”が平然となされているのである。
さらには、政治・官僚・メディアの合作により、「食べて応援!」といった地元応援キャンペーンが推進されると共に、スポーツ等何でもかんでも「絆・友情物語」としてお涙頂戴的演出をすることによって、地元で収穫される”汚染食材”や数多くの”汚染がれき”を日本全国に撒き散らし、周辺住民のみならず、全国民の健康・生命を危険に晒す”棄民政策”が断行されているというのがその実情である。

今回、2年前に放映されたチェルノブイリ原発事故の関連動画を敢えて取り上げたのは、皆さんに原発事故後の対応をみた際、日本国家の対応があの旧ソ連以上に酷いという現実を実感していただきたいとの思いからである。

チェルノブイリ事故の後、旧ソ連は「国家崩壊」という道を辿っているが、果たしてニッポンはこの先どうなるのであろうか?

 

コメント
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