百醜千拙草

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ネルソン マンデーラとカリブの音楽

2013-12-09 | Weblog
軍靴の足音が響きはじめようとしている日本。私の両親の世代は、戦後の食糧難の時代に幼少期を過ごしています。成長期の子供が一日にイモが一つで飢えを凌ぐような時代に育っています。愚かな国の指導者が、国の民の子供を飢えさせ、大勢の人々を殺したのです。その愚かな指導者の孫の世代が、今、政治の中枢にいます。戦後ポツダム宣言に基づいて、A級戦犯として最初に逮捕されたものの、アメリカのために働くのと引き換えに助けられたのがアベ氏の祖父の岸信介でした。宗主国に踏みつけられながらも、それでも日本の平和と経済成長という「実」を取りました。しかし、今、その孫が、また戦争をできるようにと、「数の暴力」で、憲法違反も何のその、着々と国民を『カタ』にはめて、ファシズム独裁国家の実現を目指して暴走しているのです。
 思うに、日本は戦争できるようなカネはないでしょうし、いざ戦争となれば、アメリカは日本を本気で助ける気もないし、戦争をやりだしたとたんに梯子をはずされるのが明らかですから、与党全員がアベ氏や軍事オタクぐらいの頭のレベルで無い限り、戦争はおこらないだろうと、私は想像はしているのですが、本当のところは、分かりません。普通の頭があれば、最初から勝ち目がないのが分かっているのに、相手の手にマンマとのせられて真珠湾攻撃したような幼稚な指導者がいた国ですから。というか、日本の指導者層というのは昔からそもそもそんなレベルで、それは今も変っていないのです。
とりあえず、私も、「特定秘密保護法に反対する会」の賛同人に署名しました。

話かわって、先週末、ネルソン マンデーラ氏が95歳で死去とのニュース。
大統領になったのが1994年ですが、1990年に釈放されるまで、26年を監獄で過ごしたのですね。
南アフリカだけでなく、世界中で、人権運動、差別撤廃運動、民主化運動のアイコンとなりました。出獄の時の人々の熱狂を、私も何となく覚えています。「信念の人」という言葉がピッタリする人です。民主化運動のアイコンたるマンデーラが亡くなった翌日に、日本では、日本版NSCの設立へ向けて秘密保護法案が成立し、ファシズム軍国主義国家樹立のため、国家がその国民を恐怖政治で管理し、民主主義を骨抜きにしようとしている、というのは何とも皮肉なものです。

若い時に好きだったセネガルのユッスー ンドールの事実上のデビューアルバムが、1986年リリースの「ネルソン マンデーラ」です。(収監中のマンデーラのカリスマ的人気が高まっていたころですね)そして、数年前には、ユッスー自身が政治活動を強め、セネガルの大統領選への立候補を表明したと言うニュースもありました。
 アフリカの打楽器とホーンの重厚なリズムセクション、今、聞いてもカッコいいです。


マンデーラが闘ったアパルトヘイト政策に反対して、ユッスーのアルバムと同じ1986年に、カリブのグループ、Malavoiがリリースした曲が「アパルトヘイト」です。フランスの植民地であったグアドループやMalavoiが活動していたマルティニーク島で、Zoukと呼ばれる特有のダンス音楽が産み出されました。Malavoiは、Zoukも演奏しますが、ビギンなどの西洋の伝統ダンス音楽の影響が濃い、ストリングスセクションを特徴とするグループで、私は、そのリラックスした南国の雰囲気が若いときは大好きでした。実際を知りませんが、フランスの植民地ですから、マルティニークでも南アフリカ同様、ヨーロッパ人による差別や搾取があったであろうことは想像難くありません。ユッスー ンドールのセネガルももとはフランスの植民地。もとフランスの植民地で、政治色強いプロテストソング(?)が歌われるのは、フランス人がアフリカ系奴隷である彼らの先祖に余程ひどいことをしたのでしょう。
 Edith Lefelがリードボーカルでのライブ版をYoutubeでビデオ見つけました。これは彼女が39歳で亡くなる直前の映像のようです。若い頃は美人でした。


もう一つ、こんなのを見つけました。イギリスのスカ バンド、Specialsです。レゲエやスカといったカリブのジャマイカの音楽はイギリスに根付いて独自の音楽ジャンルになっています。ジャマイカもイギリス領、イギリス人からの搾取と差別を受け続けたジャマイカの人々の音楽が政治色を帯びるのも頷けます。レゲエももともと、エチオピアのジャーをアイコンにアフリカへの回帰をテーマにした政治的な主題を多く含む音楽です(ルーツ レゲエと呼ばれますね。因みに、中学生のころ、エリック クラプトンが好きな友人がボブ マーリーの「I shot the sheriff (but I didn't shoot no deputy)」という曲をよく歌っていました。国家権力の横暴に対するプロテストとも取れますが、わざわざdeputyを射ったのではない、という歌詞は、ひょっとしたら、sheriffとは宗主国イギリスのことで、deputyとはその手下となってしまったジャマイカ政府のことを指していたのかも知れません)
それはともかく、名前をダンス音楽のリフに使われるほど、ネルソン マンデーラは世界中で人気があったということですね。
コメント
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