百醜千拙草

何とかやっています

今日のニュース

2013-12-27 | Weblog
国家の法律遵守の義務と人間としての良心との葛藤に悩んだスノーデンからのメッセージ。
私は、「悪法も法」だとは思いますが、良心とのconflictが起きたのであれば、人間としての良心の方を優先すべきだと思います。法は人間が作ったものに過ぎませんが、良心は神が人間に与えたものです。どちらが重要かは自明だと思います。

【ロンドン=伊東和貴】米英による極秘の情報収集活動を暴露した米中央情報局(CIA)のスノーデン元職員が、英テレビ局チャンネル4のインタビューに応じ、国家による監視活動の中止を訴えた。「クリスマスのメッセージ」として25日に放映された。
 同局がウェブサイトで公表した映像によると、スノーデン氏は、現代の監視社会は、英作家ジョージ・オーウェルが近未来小説「1984年」で描いた内容とは「比較にならないほど(高度だ)」と指摘。「現代に生まれた子どもは、プライバシーの意味を全く分からずに育ってしまうだろう」と警鐘を鳴らした。
 その上で、「私たちが力を合わせれば、国家に大量監視をやめさせることができる。国民の考えていることを本当に知りたければ、スパイ行為ではなく、国民に尋ねればいいということを政府に思い起こさせることができる」と述べた。


CIA内部の人間が「1984」の世界よりも高度な管理社会だ、と言うのですから、恐ろしいです。GoogleやiPhoneは個人情報を集めています。国はインターネット利用者で「危険思想」をもつ人間はすっかり把握しています。影響力のあるブログでの発言は危険だとわかっているので、反体制ブログは「秘密保護法」の参院通過をもって、閉鎖して地下に潜り出したのです。皮肉な見方をすれば、ブログやSNSなどは反体制危険分子をあぶり出すために与えたエサだと言えなくもないです。悲しいのは、大勢の国民が、すでにガチガチに管理されているにもかかわらず、自由があると思い込んでいることでしょう。牧場の牛の耳に番号札がついているように、国民総背番号制にしてその行動を逐一監視され、一頭一頭(一人一人)管理されて、牧場に都合の悪いものは取り除かれ、都合の良いものはやがてわずかな見返りと引き換えに搾り取られるのです。われわれのほとんどはすでに「太った(あるいは悲しいかな、やせた)ブタ」にされていて、そのうち殺されて喰われてしまうのです(と言うと言い過ぎでしょうか?)いずれにせよ、実際の世の中は、民主主義とはほど遠い世界なので、われわれの自由など鳥かごの中にしかないと言っても過言ではないでしょう。試しに「明日から一ヶ月休んで自分探しの旅に出ます」とでも会社に言って実行してみれば、われわれに自由など本当にないことがわかるのではないでしょうか。速攻でクビとなって、自分を探し出したころには、社会に自分の居所はなくなり、生活の糧を稼ぐ手段を失っているでしょう。カネがなければ生きて行けない社会ですから、みんなカネに縛られているのです。一方で、そのカネをタダ同然の紙に印刷している人間がいるのです。

安倍首相:靖国神社に参拝 中韓が猛烈に反発、米「失望」
首相は午前11時半ごろ、首相官邸から公用車で靖国神社に向かった。玉串料3万円を私費で支払い、玄関ホールにあたる到着殿で「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳。本殿前には首相名で花も添えられた。現職の首相による靖国神社参拝は2006年8月15日の当時の小泉純一郎首相以来、7年4カ月ぶりとなる。

玉串料を私費で払ったのなら、肩書きも一国民ぐらいにすればよいのに、その辺がボンボンなのでしょうな。
岩下俊三おじさん、曰く、

我が国の宰相が靖国神社に参拝したことは、白痴の行動を分析しろというのに等しいから僕にはなんの意見もない。分かりません、、、というだけである。否定とか肯定とか評価するのは常人の場合であって、正常な知識と人格が失われた人について語れるのは精神科医であってジャーナリズムの仕事ではない。

成る程。

靖国はアジア緊張の一つの要にあります。極端に言えば、核ミサイルのボタンのようなものです。扱い方を知らない人間が迂闊に触っては取り返しのつかないことになります。いくら計算能力に問題があるアベ氏でもそれぐらいのことはわかっているはずで、自分自身の意志でやったとは思えません。もしも、自分の意志でやったのだとしたら、それこそ、われわれは幼稚園児が操縦する飛行機に載せられているようなものです。しかし、誰が本当に操縦しているのにしても、嵐の中に向けて飛行していることには違いがありません。悲しい事に、その幼稚園児を国の頭に据えたのは日本国民だと外国は考えています。日本は建前上、民主主義国家ですから。

東大の論文不正問題、51論文に不正で、東大は研究費返還も考慮との話。

 分子生物学の権威として知られる東京大学の元教授らが論文をねつ造していた問題で、不正のあった論文が51本に上ることが東大の調査で分かりました。


ちょっと身近すぎて話題にしにくいですが、51論文に不正、といっても、その全てがでっちあげではなく、おそらく8割のデータは信頼できるものだろうと思います。昨今の論文出版の競争の激化で、超一流ジャーナルは「きれいなストーリー」を強く要求するようになりました。そのストーリーを完結するために、ちょっと脚色を加えたというのが、殆どの論文不正の本質でしょう。なかには、東京地検特捜部のように、なんのデータのないのに、ストーリーをまず作って、ターゲットを落とすために証拠を捏造するような、同情の余地がゼロの場合もありますが、この東大のケースはそういうものではないと思います。だからこそ、つい「出来ごころ」で51本もの論文に不正が及んだのではないでしょうか。私は、もちろん、不正は容認するものではないですが、論文出版で皆苦しんでいますから、不正をやった人の気持ちは分からないではありません。ただ、8割のデータはおそらく問題ないのに、一部の不正のために、論文のデータ全体の信用を失ってしまって撤回されてしまうことが残念だと思うだけです。
 ニュースではこの東大教授が大変な悪者のようにかかれていますが、不正に関しては直接、手を下したり、指示したりということではなさそうです。内部に多少詳しい人によると、この教授はコンピューター音痴で、不正論文での「画像加工」をするような単純なコンピューター技術でさえなかったという話ですから。おそらく、無言のプレッシャーを「忖度」した院生が軽い気持ちでやってしまったのだろうと思います。ホテルのレストランの食材偽装のような感覚だったのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする