百醜千拙草

何とかやっています

知り合いの論文のレビュー

2014-04-18 | Weblog
某有名雑誌から論文のレビューの依頼が、ありました。このレベルの雑誌が、私にレビューを直接依頼してくるワケがないので訝しがっていたら、案の定、依頼を受けたもっと偉い人が、私が投稿を考えているプロジェクトと内容的に近いものだったので、雑誌社に私に回すように言ったということでした。恐る恐る原稿を見てみましたが、フォーカスが違うのでオーバーラップはなさそうでホッとしました。某一流機関でラボを構えている中堅気鋭の人で、個人的な面識はありませんが、一、二度メールをやりとりしたことのある人です。私よりは頭も要領もよく、カネ(研究費)ももっていて、私より遥かに色男です。ポスドク時代に一流研究室から有名ジャーナルに数本出して、最後はCellで花火を打ち上げて、その後、一流機関に移った人ですが、我が身と比べるとアホらしくなるので、彼のような人は私とは違う世界に住んでいる種の違う生き物だと思うようにしています。
この論文は新たに6つの遺伝子変異マウスを作って、対象としている遺伝子群の発生とガン発生について研究したという内容で、多大なカネと労力と時間がかかっています。私のような零細ではとってもムリな研究です。確かにこういう研究でないと得られない貴重な知見が示されていますが、しかしその後の発展性があまり見えません。壮大な一話完結の映画のようです。そういう研究は、私は物理的にムリなので、寅さんシリーズみたいな研究を目指していますが、なかなか思う通りにはいかないのが世の中です。別の喩えで言うと、サリンジャーの短編小説のようなのが理想です。一つ一つは小粒でもピリリとしていて、複数の短編が大きな物語の一部を構成するような作品が作れたらいいなと思っております。

それとは別に、個人的に知っている人の研究室からのリバイスの論文レビューの依頼がありました。最初の原稿に余り感心しなかったので、ちょっと辛口の批評をしたのです。この人は私の分野では10年前のヒット以来、大物の一人で、私も個人的にいろいろ助けてもらったりしているので、義理があるのです。しかし、論文審査と義理人情は別問題です。このレベルの雑誌にコンスタントに論文が出ればいいなあ、と私も普段から思っている雑誌で、その論文は雑誌のレベルには届いていないと感じました。確かに多くのデータを取って、労力のかかった論文ですが、重要なのは、努力とデータの量ではなく、論文の結論の質でしょう。小役を積み重ねてはいますが、数え役満かといわれたら「届かない」と判断せざるを得ませんでした。それできっとあと二人のレビューアも辛口の採点をするだろうと思ったので、正直に書いたのですが、後の二人のレビューアーは意外なことに比較的好意的で、私、一人が悪者みたいになってしまいました。

リバイスの異常に熱のこもったレスポンスを読んでいると、まるで、目の前でこの人がしゃべっているような気になって、なんだかイヤな気がしてきました。実は、この論文のネタは、しばらく前に出版された別の知り合いの人の論文と内容が被っていて、私はその論文のレビューもしたのです。その原稿も、どう見ても出版を焦っているとしか思えない原稿だったので、知り合いのよしみとは言え、やはりちょっと辛口に批評をせざるを得ませんでした。リバイス後、アクセプト推薦をしたすぐ後ぐらいに、同じマウスが別のグループからScienceに出て(しかもそのScience論文の出来も良くなかった)、彼が焦っていた理由がわかり、悪いことしたな、と後悔した次第です。出版された後、素知らぬ顔で「論文読みましたよ、いい仕事ですねー」とゴマをすっておきました。誰かに「良い仕事ですねー」言われたら、その人はレビューであなたをいじめたクソヤローかも知れません。ご注意ください。
いずれにしても、知り合いの論文のレビューは、もうやりたくない気分です。(でも狭い世界ですからね、、、)
コメント
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