百醜千拙草

何とかやっています

宰相A書評から

2015-04-14 | Weblog
少し前に、芥川賞作家の田中慎弥さんによる「宰相A」という小説が出版されたそうで、その書評みたいなものを読みました。

我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」
「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を掻き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」


(この漫才のネタのようなことを真顔で言うのがブッシュでありアベ政権です)

田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。

だが、田中が気になったのは、安倍の〈うつろ〉さだった。
〈私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった〉〈政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった〉
 このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。〈いいですか、いま私が喋ってるんですから〉などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示すことや、〈自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔〉を見せてしまうことを挙げて、〈これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う〉と述べている。

〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。

安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。
 自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。(水井多賀子)


鋭い解説。その通りでしょうね。危ないです。ほとんど精神の病です。そういう人間が、国家を運転する能力もないのに運転席に座っていて、もうちょっと頭の良いはずの周囲の人間はその現実を見ないふりして思考停止しているのです。乗客である国民は、暴走列車に乗せられていることを気づいているのに、運転席に入って非常ブレーキをかけることもできない、よくあるホラー映画のようです。

今回の選挙も驚くべき低投票率で、若者はもう選挙に行かなくなったという話。これで昔の自民党に恩義を感じる地方の義理堅い老人がいなくなったら、選挙では創価学会会員以外は投票する人がいなくなって、公明党が単独与党になるかも知れませんね。

しかし、盛者必衰、有為転変、天網恢々です。暴走列車もいずれは止まります。その衝撃に備えましょう。
コメント
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