百醜千拙草

何とかやっています

斧を研ぐ

2015-04-17 | Weblog
現代の社会、浜の真砂のように悪口のネタは尽きません。
しかし、どうも世の中が「間違って」いて住みにくいのは、われわれがそのように考えるようにできているからのようです。積んでは崩される河原の石や、繰り返し同じ岩を山頂へ担ぎ上げさせられるシシュフォスのように、我々は向上を目指して、作っては壊すことを繰り返し、その過程で何らかのものを学ぶことを期待されているように思います。それで、われわれは常に不満を持つようにプログラムされていて、世の中は住みにくいように創られているということのようです。
だからこそ、世の中を良くしようと考え努力することそのものに意義があると思います。

先日、テレビの報道番組の生放送で政府の報道機関への圧力を暴露し、アベ政権批判をした古賀さんが、ガンジーの言葉を引用しました。

「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためです」

暴走するアベ政権、長いものに巻かれたい「分別ある大人」と力と希望を奪われた若者の国で、人々がいくら官邸を取り囲んで政権批判デモをしても、原発が爆発して町が丸々消えてしまっても、何も聞こうとせず、見ようとせず、自分の理屈だけを一方的に押しつけるだけで、何も為になることをしない政府。投げやりになってしまう気持ちはよくわかります。
それでも、知り、考え、小さな行動を起こすことが大切なのだと思います。社会は何も変わらなくても、われわれ自身が何かを得ることができると思います。

例えば、宇宙開発研究です。本音では誰も本気で火星に移住するなどということは考えていないのです。ただ、月に行ったりロケットを打ち上げてみたりするというのは、そういう「挑戦」を通じて、何らかの新たな地上で役立つ技術を開発することが真の目的であり、そのためにスケールの大きな目標を掲げて努力すること自体に意義があるのです。「世直し」するというにもそれに近いものがあるような気がします。それに、本当に世の中が天国のようになってしまったら、我々が地上で生きている意味はないのだろうと思います。

というわけで、悪口のネタに注意を向けるのをやめ、起こっている現象への理性のよる善悪の判断を保留し、そこから何が学べるかということに注意していきたいと思うこの頃です。

悪口をいうかわりに、もっと建設的で心に残るいい話やよい言葉を探しながらやっていきたいと思います。

そこで、今日のいい言葉。

奴隷解放の父、エイブラハム・リンカーンの言葉。

「木を切り倒すのに6時間もらえるなら、私は最初の4時間を、斧(おの)を研ぐことに費やしたい」


大きな目的を達成するためにまずは実力をつけよということでしょうが、目的を達成すること以上に、斧を研ぐこと自体は重要だろうと私はと思います。

関係ないですが、さっき、パーシー スレッジ氏が73歳で死去したとのニュース。アメリカの50-70年代というのは戦後の好景気もありアメリカ文化が眩しい時期でした。ちょっと過剰なのがカッコいい時代でした。昔、試験勉強のBGM用に編集したカセットで繰り返し聞いたのを懐かしく思い出します。

コメント
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