先週末、戦後日本の歴史に大いなる汚点を残した戦争法案が通過。
日本では、議会での議論というものが何の意味も持たず、多数を握る与党の執行部が党議拘束や選挙協力などの脅しを使って与党議員をコントロールし、独裁的に法案を通していく様子がよくわかりました。戦争法案に関しては、アベ氏も閣僚も誰も野党の質問にマトモに答えることができず、国民の大多数が反対し、憲法学者のほとんどが違憲である、というようなシロモノです。この時点でこの法案に賛成できるのは、よほど思考能力に欠陥があるか、我が身かわいさで独裁アベ政権にイエスマンになって、選挙で票を入れてくれた国民の方から目を背けているいるということでしょう。
しかし、この一連の戦争法案を巡っての出来事は、日本の近代史における大きな汚点ではありますが、二、三の良い影響もあったと思います。
一つは、日本が戦後70年たってもアメリカの植民地であるということを少なからずの国民が実感したこと、
そして、安倍政権というものが、全くアメリカと対米隷属官僚の言うがままの、傀儡政権であったということが明らかになったこと、
第三に、日本は民主主義国家という建前の官僚独裁国家であり、政治(立法)というものは、官僚(行政)という最高権力を国民から守るための防波堤としてしか機能しておらず、国民の代表のフリをするのは選挙の間だけだ、ということです。
そのことを、読売などのプロパガンダ新聞を読まなくなった若い世代が気づき、抗議行動に移したということに私は勇気づけられました。
恋愛と革命は若者の特権と言いますが、若者が思いもかけないようなやり方でこれからの古い対米隷属日本を変えていくだろうという期待を感じました。
アメリカが凋落していき、多極化するこれからの世界、アメリカのツケをいつまでも払っていくだけの体力は日本にもありません。もはや戦後ではない、この点において、私はアベ氏と意見は同じです。しかし、彼は戦後ではないと言いながら、日本がアメリカの植民地であり続けることによって、彼の属する日本会議の目指す戦前復帰を果たそうとしているように見えるところが、どう考えても矛盾しています。二言目には「戦後レジームからの脱却」というくせに、その戦後レジームを作ったアメリカの要望には100%の従順を示し、アメリカ軍事戦略の片棒を担ぐために、憲法を捻じ曲げ、国民の富と生命を差し出すTPPと戦争法案というアメリカの要望書通りの政策を国民の大多数の反対を無視してゴリ押しするのです。論理的には、戦後レジームを脱却して戦前復帰するにはアメリカに戦争で勝つというのが論理の筋でしょう。しかし、アメリカには勝てないし、何より対米隷属官僚のいうがままので、結局「戦後レジーム脱却ごっこ」という自慰行為にふけるしかないのでしょう。この異常な行動は、アベ氏にその言動と行動の矛盾を客観的に見るだけの知性がないただの「操り人形(男人形)」にすぎないことを示しているように私には思えます。
先週の参院での採決の際、山本太郎氏は、国民政党としての自民党(すなわち、党内の派閥間での合意を重んじる政治)が、小泉-安倍によって死に、ナチスと同じく民主主義を建前にした独裁制となったことを批判して、喪服で登壇し、党議拘束と粛清の恐怖で縛られて、長いものに巻かれようとする与党政治家を声高く批判したあと、焼香の仕草をするパフォーマンスを行いました。アホウ氏が「ナチスの手口に見習え」といった通り、アベ氏は選挙で勝ったことを錦の御旗として、独裁制を民主的であると正当化しました。そして、戦後の国民政党としての自民党は死にました。自民党政権は今や粛清による恐怖政治を行う北朝鮮と同じとなりました。
ところで、まったく関係のない話ですが、偶然、今日、Waye Dyer氏が8月末に心臓発作のためにハワイで死去していたということを知りました。ユーモアあふれる話を通じて、道教や東洋的思想、神秘主義的思想を一般向けに伝えた人で、私も以前はその話をよく楽しく聞きました。寂しい気持ちがします。
日本では、議会での議論というものが何の意味も持たず、多数を握る与党の執行部が党議拘束や選挙協力などの脅しを使って与党議員をコントロールし、独裁的に法案を通していく様子がよくわかりました。戦争法案に関しては、アベ氏も閣僚も誰も野党の質問にマトモに答えることができず、国民の大多数が反対し、憲法学者のほとんどが違憲である、というようなシロモノです。この時点でこの法案に賛成できるのは、よほど思考能力に欠陥があるか、我が身かわいさで独裁アベ政権にイエスマンになって、選挙で票を入れてくれた国民の方から目を背けているいるということでしょう。
しかし、この一連の戦争法案を巡っての出来事は、日本の近代史における大きな汚点ではありますが、二、三の良い影響もあったと思います。
一つは、日本が戦後70年たってもアメリカの植民地であるということを少なからずの国民が実感したこと、
そして、安倍政権というものが、全くアメリカと対米隷属官僚の言うがままの、傀儡政権であったということが明らかになったこと、
第三に、日本は民主主義国家という建前の官僚独裁国家であり、政治(立法)というものは、官僚(行政)という最高権力を国民から守るための防波堤としてしか機能しておらず、国民の代表のフリをするのは選挙の間だけだ、ということです。
そのことを、読売などのプロパガンダ新聞を読まなくなった若い世代が気づき、抗議行動に移したということに私は勇気づけられました。
恋愛と革命は若者の特権と言いますが、若者が思いもかけないようなやり方でこれからの古い対米隷属日本を変えていくだろうという期待を感じました。
アメリカが凋落していき、多極化するこれからの世界、アメリカのツケをいつまでも払っていくだけの体力は日本にもありません。もはや戦後ではない、この点において、私はアベ氏と意見は同じです。しかし、彼は戦後ではないと言いながら、日本がアメリカの植民地であり続けることによって、彼の属する日本会議の目指す戦前復帰を果たそうとしているように見えるところが、どう考えても矛盾しています。二言目には「戦後レジームからの脱却」というくせに、その戦後レジームを作ったアメリカの要望には100%の従順を示し、アメリカ軍事戦略の片棒を担ぐために、憲法を捻じ曲げ、国民の富と生命を差し出すTPPと戦争法案というアメリカの要望書通りの政策を国民の大多数の反対を無視してゴリ押しするのです。論理的には、戦後レジームを脱却して戦前復帰するにはアメリカに戦争で勝つというのが論理の筋でしょう。しかし、アメリカには勝てないし、何より対米隷属官僚のいうがままので、結局「戦後レジーム脱却ごっこ」という自慰行為にふけるしかないのでしょう。この異常な行動は、アベ氏にその言動と行動の矛盾を客観的に見るだけの知性がないただの「操り人形(男人形)」にすぎないことを示しているように私には思えます。
先週の参院での採決の際、山本太郎氏は、国民政党としての自民党(すなわち、党内の派閥間での合意を重んじる政治)が、小泉-安倍によって死に、ナチスと同じく民主主義を建前にした独裁制となったことを批判して、喪服で登壇し、党議拘束と粛清の恐怖で縛られて、長いものに巻かれようとする与党政治家を声高く批判したあと、焼香の仕草をするパフォーマンスを行いました。アホウ氏が「ナチスの手口に見習え」といった通り、アベ氏は選挙で勝ったことを錦の御旗として、独裁制を民主的であると正当化しました。そして、戦後の国民政党としての自民党は死にました。自民党政権は今や粛清による恐怖政治を行う北朝鮮と同じとなりました。
ところで、まったく関係のない話ですが、偶然、今日、Waye Dyer氏が8月末に心臓発作のためにハワイで死去していたということを知りました。ユーモアあふれる話を通じて、道教や東洋的思想、神秘主義的思想を一般向けに伝えた人で、私も以前はその話をよく楽しく聞きました。寂しい気持ちがします。