百醜千拙草

何とかやっています

バケツの底が抜ける日、代理を撃つ

2015-09-01 | Weblog
週末の安保法案反対デモは国会前、12万人とのことでした。全国各地での数を合わせるとかなりの規模になっているはずです。100万人というのは無視できない数です。

安倍氏がもう少し融通の利く人であれば、この法案はノラリクラリで事実上廃案にすることもできたでしょう。小沢氏も言ったように、あいにく、この人は目上の人の言うことをよく聞く「良い子」なのです。「良い子」ぶって、ハラの中で別の計画を練るというような芸当はできないのだと思います。目上のアメリカ様の要望を通すことと引き換えにソーリの椅子に座れているのだ、そのことを忘れるな、と言われると、きっとこの人は「ハイ、わかりました」と、言われた通りに努力しようとするのでしょう。だから「目下」だと思っている議員や国民に対しては必要以上に傲慢な態度をとるのではないでしょうか。自分に自信がないのでしょう。

いずれにせよ、言われたことをバカの何とかのように忠実に実行しようとする融通のなさ、大局観や長期展望のなさ、想像力の欠如、そしてアメリカ様には絶対服従の一方で国民を下に見ているような人間が総理であるということは、本当に国民の不幸としかいいようがありません。ただ、潮目は変わっています。安倍氏は遠からず退陣せざるを得なくなります。行き詰まっても自ら身を引くことはこの人にはできないかもしれませんが、自民党議員や党員が下ろし始めるでしょう。安保法案に関しては、参院での強行採決でさえできるかどうか怪しくなってきました。

移動中のラジオで、懐かしいBob Marleyの「I shot the sheriff」が聞こえてきました。ジャマイカのルーツ レゲエはイギリス帝国主義によって、奴隷としてジャマイカに連れてこられた黒人のアフリカへの回帰を望む魂の歌です。初めてこの歌を聞いた時は子供で、しかもエリック クラプトンのカバーでしたから、保安官を殺したという歌の意味は私には全く理解できませんでした。

この歌の歌詞の解釈と解説は多分多くされているとは思いますが、「保安官を撃った。それは自己防衛だった。でも俺は保安官代理を撃ったんじゃない。」という部分がどういう意味なのか、あらためて考えてみました。「John Brownという名の(イギリス人風の名前の)保安官を撃ったが、代理は撃っていない」という歌詞、どうして代理を撃ったのではないとわざわざ言ったのでしょう。
保安官は宗主国のイギリス、代理は黒人なのにイギリスに命令されて同胞を取りしまる黒人、という意味なのだろうかと思いました。

日本に当てはめてみれば、保安官はアメリカ、代理は対米隷属官僚と安倍政権、と言ったところでしょう。安倍政権と対米隷属官僚は確かに魂をアメリカに売った売国奴です。しかし彼らを操って日本国民を搾取しようとしているのは、アメリカの民間シンクタンクで「知日派」とかいってあたかも親日的に振る舞う連中と、その裏にいるアメリカの軍需産業や金融産業群です。安倍政権が上司のいうことを「ハイ、わかりました」と忠実に実行しようとする「良い子」に過ぎないのなら、「I shot the sheriff」は、本当の敵を見失うな、というメッセージなのかもしれません。

もう一つ、この曲が40年を経て私の心に響いたのは、歌詞の最後、「毎日、井戸の(重い)水を運んていると、バケツの底というものは突然抜けるのだ」という部分です。高校生、大学生までもが立ち上がって、12万人が国会前に結集しデモを行いました。バケツの底は抜ける寸前に来ていると思います。
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