百醜千拙草

何とかやっています

ゆるむ

2017-02-17 | Weblog
年を取ってくると、体のいろいろな部分が緩んでくるようです。
肉体に限らず感情の蛇口もゆるくなるようで、普段から、怒りや憎しみや妬みなどの感情を抱かないように、慈しみと思いやりを持つようにしないといけないと思わされます。そうしたものがふとした時に漏れ出てきますからね。

週末は、子供の親友のお兄さんが小さな子供を残して突然死したためにお通夜に出向きました。ウチの子供によくしてくれて、小さい時は色々と遊びに連れて行ってくれたりしました。私自身はほとんど接触がなかったので、話で知っている人という程度で、奥さんは子供を残して出て行ったので、子供が気の毒だなあと思ったぐらいでした。

通夜に出向き、いざ両親にお悔やみを言う段になって、私の中にその両親の気持ちが入り込んできました。急に感情が高ぶってしまって自分でも驚きました。多分、心の栓も緩くなっていて、感情の出入りが激しくなったのでしょう。棺の中に眠るまだ若い我が子を送り出さねばならない両親の悲しみは推し量るにあまりあります。老人が大往生して、天国での次の人生を祝うといったようなものではないのです。ただただ痛々しく、かける言葉を失い、その両親の肩をさするばかりでした。

私は、若い頃は打算的な方で、心から人に共感するということが少ない方でした。自分のことだけで精一杯で先のことばかりを心配して何かと忙しく人のことを考える余裕もなかったのだと思います。社会のことにも関心もなく、新聞を読むのも三面記事ぐらい、仕事と遊びのことだけしか考えていませんでした。それが、年を取って、隙ができていろいろ緩んできたのでしょうか、いろいろな情報を受け入れることができるようになり、そして人に共感する余裕もできてきたように思います。また、悪いことがあっても引きずらなくなってきました。大抵は「ま、いいか」とか「仕方ない」で済ませれるようになりました。しかし、一方では共感する能力というものに絶対的に欠けているように見えるアベ政権やトランプに対しては、怒りを感じるようになりました。この辺、なかなか達観できないものです。

遠方から、かつて一緒にやっていたプロジェクトを仕上げに共同研究者が短期の予定でやってきました。彼女も人の親で、プロジェクトの仕上げが遅れたのは子供が病気で精神的に研究のことを考える余裕がなかったからでした。折々のメールで「止まない雨はないよ」とは励ましつつ、どうなるだろうかと案じていましたが、半年経って元気になった子供が旦那さんと一緒に尋ねてきてくれました。元気な様子を見て、しみじみと良かったなあ、という感情が急に湧いてきて、また驚きました。

年をとって涙もろくなるという話はよく聞きますが、コレのことか、と思いました。多分、あちこち、ゆるくなっていて感情の流れのコントロールが悪くなっているのでしょう。

でも、締め直す気はありません。ゆるくても、実さえ出なければ、「ま、いいか」です。
グラント書きながら、元気に仕事をしている彼女を見て、ちょっとしみじみしてます。
コメント
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