グラント書きで苦しんでいますが、忙中閑あり、ふと「はやりを追うな」ノーベル賞の大隅教授、生徒らと交流 というしばらく前のニュースを思い出しました。
昨年のノーベル医学生理学賞を受賞した、大隅良典・東京工業大栄誉教授(72)が11日、愛知県岡崎市で講演し、子どもたちと交流した。「はやりを追うことはやめ、人と違うことをやってほしい」と話した。
子供に対してのアドバイスなのでしょうけど、研究者の立場からすると複雑な気分です。
果たして、はやりを追うことは悪いことなのか良いことなのか、そもそもどうして、はやりを追う人間と追わない人間がいるのか、はやりを追う人間はそのことによってどういう利益を得ているのか、その辺、大隅先生はどう考えておられるのか、聞いてみたい気がします。
現実の状況を見れば、研究者といえども、生活もあり家族もあり、研究という狭い世界の中で、生き延びていかなければならないという現状があります。研究をするには金が要り、その金は大抵の場合、他から回ってくるわけですが、その金を回すの回さないの判断は、回す側の都合です。仲間や敵や第三者の入り混じった狭いコミュニティーの人々がお互いを評価し、誰に金を与えるかを決めるのですから、研究ができるかできないかは、周りの人間がその人やその人の研究をどう考えるかによります。そんな場所で、はやりを追わず人と違うことをやって評価されるというのは簡単ではないと思います。レビューアは経験を積んだ研究者である一方、非常に限られた時間の中で他人の研究を評価しないといけないという制約があります。人と違いすぎて価値がわからないもの、はやりに注意を払っていないもの、は高評価を得るのは難しいだろうと思います。事実、ノーベル賞の研究がしばしば、研究費の獲得に苦労して、他のソースからなんとか都合して研究を続けたというのはよく聞く話です。真にオリジナルな研究はそれが目にみえる形で結実するまで、周りの人間がその価値を評価できないことが多いということでしょう。
シニカルに言えば、ノーベル賞になったからこそ、「逆張り」で人と違うことをやることが良いストラテジーであると言えるわけで、思うに、普通の人が逆張りした場合、おそらく、研究費ももらえず成果も上がらずに消えていく率は、それで一発当てた人々よりも、はるかに高いであろうと予測されます。
思うに、研究の世界では、人と違うことをやれる機会を与えられるようになるためには、人と同じようなことを人よりもより良くできるようになることによって、周りの人間に認められるというステップが必要なのではないでしょうか。
客観的に見て、人と違うことをやれるようなポジションを手に入れるための最短な近道は、最高の大学に行って、優秀な成績で卒業し、奨学金をもらって、一流の研究室の元で修行し、そこで頑張って一流雑誌に仕事を載せることです。大学の格も研究室や雑誌が一流かどうかも、大勢の人々のコンセンサスで決まっています。普通、人気があって流行っているもののはそれなりの理由があります。人の基準(流行)に従いつつ、その最も上のところをクリアしていくというのが、人と違うことをやれるようになる近道だと思います。つまり、まずは人と同じことを、人よりも努力して、人よりもよくできるようになるという基礎修練がなければ、そもそも人と違うことなどできないのではないでしょうか。
すなわち、最初は、流行を追いこす勢いで追いかける。そして運よく研究費がもらえたら、その金を使って、オリジナルなことをやって実績を積む。これがうまくいけば、その新しい分野での一人者となって、資金繰りと研究を軌道に乗せることが可能になるのではないか、と思います。(最初の段階でつまづいた私には、偉そうなことを言う資格はありませんが)
これは、常にsuvival modeの二流研究者が考えていることで、一流の研究者の人は違う意見もあるでしょう。
ま、理想と現実の乖離と言うものは人生の味わいです。生きるか死ぬかの勝負に快感を感じる人は、思いっきり人と違うことを流行を気にせずにやってみて、大成功を目指す、あるいは、それで外れた場合は「人生いろいろ」と言って別の道に去っていく、そういうのもありでしょう。
などと思った次第。
ちょっとだけ、その他のニュース。
カルト集団、日本会議とアべ氏が関わったとされる不正国有地払い下げ疑惑。提灯持ち新聞、産経、読売は、(当然ながら政権擁護のためでしょう)この疑惑を取り上げた国会議員を攻撃、一方、ローカルメディアや一部のテレビなどは、うまくいけばアベ内閣退陣へ持ち込めるかもしれないこのスキャンダルを煽っています。この攻防があまり露骨で笑えます。NHKが全くこの問題に触れようとしないのも、さすがにアベ様の日本偏向報道協会。みんな我が身がかわいいですからね。また、局内トイレで自殺か?みたいな人生の終わりかたをするのは誰でも嫌です。
沖縄、米軍の飛行差し止め訴訟、原告団の訴えは一部認めたものの、飛行差し止め叶わず。騒音で夜も眠れず、難聴になった人々は、憲法にも守られず、アメリカの下請け政権に牛耳られる司法にも見捨てられ、ということですか。アメリカ様と行政の機嫌を伺う日本のヒラメ司法、なんとか、ならんのですかね。
昨年のノーベル医学生理学賞を受賞した、大隅良典・東京工業大栄誉教授(72)が11日、愛知県岡崎市で講演し、子どもたちと交流した。「はやりを追うことはやめ、人と違うことをやってほしい」と話した。
子供に対してのアドバイスなのでしょうけど、研究者の立場からすると複雑な気分です。
果たして、はやりを追うことは悪いことなのか良いことなのか、そもそもどうして、はやりを追う人間と追わない人間がいるのか、はやりを追う人間はそのことによってどういう利益を得ているのか、その辺、大隅先生はどう考えておられるのか、聞いてみたい気がします。
現実の状況を見れば、研究者といえども、生活もあり家族もあり、研究という狭い世界の中で、生き延びていかなければならないという現状があります。研究をするには金が要り、その金は大抵の場合、他から回ってくるわけですが、その金を回すの回さないの判断は、回す側の都合です。仲間や敵や第三者の入り混じった狭いコミュニティーの人々がお互いを評価し、誰に金を与えるかを決めるのですから、研究ができるかできないかは、周りの人間がその人やその人の研究をどう考えるかによります。そんな場所で、はやりを追わず人と違うことをやって評価されるというのは簡単ではないと思います。レビューアは経験を積んだ研究者である一方、非常に限られた時間の中で他人の研究を評価しないといけないという制約があります。人と違いすぎて価値がわからないもの、はやりに注意を払っていないもの、は高評価を得るのは難しいだろうと思います。事実、ノーベル賞の研究がしばしば、研究費の獲得に苦労して、他のソースからなんとか都合して研究を続けたというのはよく聞く話です。真にオリジナルな研究はそれが目にみえる形で結実するまで、周りの人間がその価値を評価できないことが多いということでしょう。
シニカルに言えば、ノーベル賞になったからこそ、「逆張り」で人と違うことをやることが良いストラテジーであると言えるわけで、思うに、普通の人が逆張りした場合、おそらく、研究費ももらえず成果も上がらずに消えていく率は、それで一発当てた人々よりも、はるかに高いであろうと予測されます。
思うに、研究の世界では、人と違うことをやれる機会を与えられるようになるためには、人と同じようなことを人よりもより良くできるようになることによって、周りの人間に認められるというステップが必要なのではないでしょうか。
客観的に見て、人と違うことをやれるようなポジションを手に入れるための最短な近道は、最高の大学に行って、優秀な成績で卒業し、奨学金をもらって、一流の研究室の元で修行し、そこで頑張って一流雑誌に仕事を載せることです。大学の格も研究室や雑誌が一流かどうかも、大勢の人々のコンセンサスで決まっています。普通、人気があって流行っているもののはそれなりの理由があります。人の基準(流行)に従いつつ、その最も上のところをクリアしていくというのが、人と違うことをやれるようになる近道だと思います。つまり、まずは人と同じことを、人よりも努力して、人よりもよくできるようになるという基礎修練がなければ、そもそも人と違うことなどできないのではないでしょうか。
すなわち、最初は、流行を追いこす勢いで追いかける。そして運よく研究費がもらえたら、その金を使って、オリジナルなことをやって実績を積む。これがうまくいけば、その新しい分野での一人者となって、資金繰りと研究を軌道に乗せることが可能になるのではないか、と思います。(最初の段階でつまづいた私には、偉そうなことを言う資格はありませんが)
これは、常にsuvival modeの二流研究者が考えていることで、一流の研究者の人は違う意見もあるでしょう。
ま、理想と現実の乖離と言うものは人生の味わいです。生きるか死ぬかの勝負に快感を感じる人は、思いっきり人と違うことを流行を気にせずにやってみて、大成功を目指す、あるいは、それで外れた場合は「人生いろいろ」と言って別の道に去っていく、そういうのもありでしょう。
などと思った次第。
ちょっとだけ、その他のニュース。
カルト集団、日本会議とアべ氏が関わったとされる不正国有地払い下げ疑惑。提灯持ち新聞、産経、読売は、(当然ながら政権擁護のためでしょう)この疑惑を取り上げた国会議員を攻撃、一方、ローカルメディアや一部のテレビなどは、うまくいけばアベ内閣退陣へ持ち込めるかもしれないこのスキャンダルを煽っています。この攻防があまり露骨で笑えます。NHKが全くこの問題に触れようとしないのも、さすがにアベ様の日本偏向報道協会。みんな我が身がかわいいですからね。また、局内トイレで自殺か?みたいな人生の終わりかたをするのは誰でも嫌です。
沖縄、米軍の飛行差し止め訴訟、原告団の訴えは一部認めたものの、飛行差し止め叶わず。騒音で夜も眠れず、難聴になった人々は、憲法にも守られず、アメリカの下請け政権に牛耳られる司法にも見捨てられ、ということですか。アメリカ様と行政の機嫌を伺う日本のヒラメ司法、なんとか、ならんのですかね。