百醜千拙草

何とかやっています

思考するコンピューター

2017-05-23 | Weblog
 将棋ソフト「PONANZA」とプロ棋士・佐藤天彦名人が対局する「第2期 電王戦」の第2局が5月20日に姫路城(兵庫県)で行われ、PONANZAが勝利した。2番勝負は、PONANZAが2連勝で幕を閉じた。、、、、電王戦シリーズの最終成績は、将棋ソフトが14勝5敗1引き分けと、プロ棋士に大きく差をつけた。

というニュース。

コンピューターが学習とデータを通じて、ある目的に関しては人間よりも的確に最適な判断を下すことができるようになったということですから、これから知的労働と考えられてきた多くの人間の活動がコンピューターにとってかわられることになりそうです。

研究という活動もそのうちPIはコンピューターとなり、人間はポスドクだけになるかも知れません。コンピューターは、膨大なる積み重なったデータから、何が問題かを判断し、その解決にもっとも最適な方法を見つけ出し、人間に指示を出して、仕事をさせるという形になるのではないでしょうか。そして、そのデータをコンピュータは解釈して論文にまとめます。もちろん、雑誌社のエディターもレビューアもコンピュータです。アクセプトやもリジェクションの判断も正確かつ迅速、研究不正も見逃しません。ま、こうなってくると、論文を読むのもコンピュターですね。もはやその成果を人間が理解する必要も理解する能力もなくなってくると、論文はバイナリー信号で書かれるようになり、インターネット内でvirtual 出版されて完結するという形になるかもしれません。研究者は単純作業をこなすロボットに過ぎなくなる可能性もありますね。

ま、器械に使われるということは昔からありました。例えば、アッセンブリーラインの工員などはそうでしょう。機械で流れて来るものに担当時間内に決まった作業をするという仕事などは人間の方が機械に合わせないといけません。しかし、これまでは、その裏にいて機械を動かしているのは別の人間であり、機械は道具に過ぎなかったわけですが、機械が知的労働をして判断を下すことができるようになれば、話は違ってくると思います。

例えば、小説を書くという作業もそのうちコンピューターが自動でするようになるでしょう。いわゆる「創作」と呼ばれる人間らしいと考えられていた活動ですが、「創作」とは、基本的には、すでにあるものの新しいコンビネーションですから、将棋と同じで、過去の大量のデータを学習させていくことで、売れる小説を自動的に書くコンピュータはできるのではないでしょうか。事実、絵画で、学習したコンピューターがレンブラント風の絵を描くことができることは昨年示されました。音楽もそうでしょう。コンピューターならプッチーニ オリジナルのツーランドットを完成させてくれるかもしれません。

ま、ちょっと気持ち悪い世界ですけど、かなり現実味があります。一方で、AIの進歩で人間と機械の情報処理における根本的な違いというものが(あるとすれば)明らかになるかもしれません。コンピュータは、人間の思考やその思考に対する反応を学習することで、極めて人間に近く、加えて計算能力や記憶力は桁違いに優れたものになるでしょう。コンピュータが感情を持つようになる(少なくとも感情を持っているかのように入力に対して反応するようになる)のも時間の問題でしょう。そのうち、ひょっとしたらフランシス クリックが後半生をかけて追求した「意識はどうやって生まれているのか」という問題も理解できるようになるかも知れません。ただ、意識の問題が解決した場合に、それを理解できるのはコンピュータだけになるかも知れませんが。

思うに、こうした思考できるコンピュータがもっとも有用なのは、政治の世界でしょう。全世界の政府の政策をコンピュータのネットワークを通じて、全人類と地球が長期的にも最適になるように決めさせれば良いと思います。権力は腐敗するもので、その原因は「欲」と「感情」です。もっとも理性的でならねばならない国家の政策の決定が、一部の権力者の「欲」で決まっているわけですから。思考する無欲なコンピュータにやらせれば、核軍縮、温暖化問題、貧困、食料問題、こうした問題は比較的簡単にケリがつく可能性があります。
少なくとも、日本の首相はPONANZAにやらせたほうがよっぽどマシであるのは間違いありません。
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