百醜千拙草

何とかやっています

Djelem, Djelem ジプシー音楽2

2019-02-01 | Weblog
昔から歌い継がれている民謡やクラッシックの音楽が人々を惹きつける魅力はなんなのだろう、とふと思いました。現在に足るまで、数多くの楽曲が作られ、そのうちのいくつは流行しますが、10年、20年と歌いつがれることは稀です。私もたまに50-60年代のジャズや70-80年代のヒット曲を聞くことがありますけど、いい曲も多いし音楽的にも優れたものも多いのに、それらはもやはオールディーズ専門ラジオ以外では滅多に耳にしません。これらの流行歌と民謡やクラッシック音楽の違いをぼんやり考えていた時、それはやはりメッセージの普遍性ではないのかな、と思い当たりました。

以前のジプシー音楽の続きですけど、このユニークな音楽の発展は、ジプシーという少数民族の迫害の歴史そのものです。ジプシーは主に北インドからパキスタンが起源の移住民族、ロマとほぼ同義とされています。ロマ迫害はずっと続いてきており、第二次大戦前のドイツではロマ ホロコーストと呼ばれる虐殺で50万人のロマが殺されたそうです。加えてヨーロッパ各地で、差別や社会活動の制限を課されてきました。現在でもロマ迫害は人権上の大きな問題であり、近年の最大のロマの居住国であるトルコでの迫害事件は耳新しいです。

そんな中で独特の民族的アイデンティティを維持してきたロマに「国歌」とされる曲があります。「Djelem, Djelem」 という曲です。ロマの迫害の歴史、連帯のメッセージ、そして何より未来への希望の歌。この曲が作られたのは1949年だそうです。世界大戦が終わって過去の傷を負いながらも未来に希望を託す、民族の誇りを取り戻そう、その普遍的なメッセージが歌い継がれている理由なのではないかなと思います。
国歌といっても、他の地理的領土をもつ国が、(国民統治のために)国歌や象徴を定めて、強制的に演奏させるというものとは違うと思います。この曲は人々の人々のための曲と思います。愛国心を鼓舞するのではなく、人々の感情に寄り添うような、しみじみとした国歌です。

(歌詞の一部の意訳)
長い道を旅して、幸せなロマにあった。
ロマよ、どこらかきたのか、テントを積んで。
旅は楽しかったかい?
ロマよ、ロマの若者よ。

私も昔は素晴らしい家族があった。
でも、The Black Legion(白人至上主義の武力集団)に殺された。
世界のロマよ、ともに行こう。ロマに道は開ける。
今こそ、立ち上がれ、高く。
ロマよ、ロマの若者よ

神よ、白い扉を開けよ、わが同胞が見えるように。
放浪の道に戻り、幸せのロマと一緒に歩むのだ。
ロマよ、ロマの若者よ

立ち上がれロマの人々。世界のロマよ、ともに行こう。
暗い色の瞳と顔、暗い色の葡萄のようであって欲しい。
ロマよ、ロマの若者よ。

ロケットが飛んだり爆弾が爆発したりする景気のいいアメリカの国歌や、暴君を血祭りにあげてその血で畑を満せ、というような物騒なフランス国歌、あるいは、石にコケが生えるような時代の安寧を願う「君が代」などとはずいぶん趣が違って、大変に人間的です。Djelem Djelemが、広く一般に歌い継がれているのは、人間としての悲しみや希望といった普遍的なテーマを同じ人間の視点から歌っているからではないかと思います。

セルビアの才能ある歌手、Jelena Tomasevicの歌でどうぞ。
コメント
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