百醜千拙草

何とかやっています

ツイッターの功罪

2020-01-07 | Weblog
情報収集のために最近ツイッターを使い出しました。確かに効率よく最新の情報が自動的に集まり大変便利と喜んでいたのですが、すでに副作用が出始めています。新しい情報を求めて、つい空き時間ができると見てしまい、気が散り、大事なことがおろそかになったりします。

ネット時代の前には「活字中毒」という人々がいました。とにかく、何か読んでいないといられない人々で、本、新聞、そういったものがない時は電車の中吊り広告や商品に貼り付けてある細かい注意書きまで、隅々まで読んでしまう人々です。多分、彼らは現在では、姿を変えて電車の中でいつも携帯電話を眺めている人になっているのでしょう。今では活字以外の情報も多いですから「情報中毒」ですね。

思うに、情報をインプットしてそれに反応するという作業は、ビデオゲームをやっているのと同じような快感を得られるのではないでしょうか。また、自分自身で何かを作り出していくという時間と集中力が必要な作業に比べると、何かに反応するというのはより簡単ですから、本やブログを書くという情報発信に比べたら、ツイッターの敷居は大変低いです。

しかるに、これまで感じたことは、ツイッターに流れてくる情報の95%以上は知らなくても良い、あるいは知らない方が良い情報で、私にとってはこれらは、時間という空間を占拠するいわば、情報のゴミです。ところが、情報は新しいというだけで一瞬の価値があり、そのゴミを自動的に排除することができません。加えて、近年、私の脳の情報処理能力が低下しつつあり、そもそも大量の情報を受けた場合に、情報を取捨選択し、有用なものを記憶し無用のものを忘れるという作業が昔の半分ぐらいのレベルでしかできなくなっています。最近は、平気で重要なことを忘れる様になりました。これは脳の物理的な劣化に加え、情報量のインプットがネット時代になって飛躍的に増加したせいもあるだろうと思います。私の脳はすでに低下した処理スペースをつまり情報のゴミに占拠されているという状態になっているのではないかと思います。ただでさえ物覚えが悪くなっているのを自覚していますから、本来すべきことは情報をカットし、重要なことだけにフォーカスすることであることはわかっていはいるのですが。

ツイッターで大量の情報が流れむのに加え、マズイなあと思うのは、ついツイートに反応してしまうことです。例えば本、新聞などの長い記事を読んだ場合だと、それについてじっくり考えたり、思うところをまとめたり、それを文章にするという過程は、時間と集中力を要するもので、自然と「深く考える」必要がありました。ツイッターの場合はまさに脊髄反射的「反応」です。何かに対して深く考えずに反応する、それによって、しばしば、その元の情報以上のゴミ情報が増えていきます。結局、私も、ツイートに反応ことで、情報のゴミを増していることに加えて、チリも積もれば山、のような時間を浪費やしていることになります。

ただ、現在のように日本の政治が腐敗し、トランプのようなキチガイが、無人爆撃機で他国の要人を攻撃したあげくに、52人のアメリカ人犠牲者に因んで、イランの52箇所を攻撃するなどと、どうどうたるクソぶりをさらし、アベのような空っぽの操り人形がそのキチガイに盲目的に追随する状況は、すでに緊急事態です。ビデオゲーム並みの反射神経で危険を察知し対処することが求められます。ツイッターで人々が思うところを自由に発言し、情報を共有することは、安全保障の点では望ましいと思います。トランプやアベや腐敗した政府を強く批判するのは民主主義国家の国民としての義務であると思います。(日本では、メディアがその役割を放棄してますからね。)
コメント (1)
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