暗い話でナンですが、アカデミアは全世界的に死滅に向かっているのではないだろうか、という感じがします。
確かに、Twitterで流れてくるニュースは、毎日、新たな新発見が有名ジャーナルに発表されたという話題を目にするのですけど、その栄光の裏に積み重なった死体の山も想像できるわけで。
アカデミアに足りないのは、金と人と安定した生活、これはずっと昔からそうでしたけど、近年、一段と状況が悪くなっているような気がします。そもそも、研究など余裕がなければできませんし。
これは現代の資本主義がほぼ行き着くところまで来つつあるからではないのか、と思ったります。つまり、持てる一部のものが持たざる大多数のものを支配する社会、人間性でも知性でもなく、持っているカネの多寡で人が評価される社会にすでになりつつあります。持たざる一般人は、そのうち徹底的に管理されて、牧場の牛のように、マイナンバーを耳に刻印され、囲いの中に閉じ込められ、乳を搾られ、殺されて食われるようになるでしょう。そんな中で、日々のささやかな幸せを噛みしめて死ぬまで働け、と洗脳されていくのでしょう。そんな社会にどのような人間らしい営みが生まれるでしょうか。
アカデミアの学問も研究も、文学、音楽や芸術のように、人間に特有の活動で、それなしには人間社会が成り立たないものだと私は思います。しかし、今の社会では、カネは力であり、力は正義、カネにならないものは価値がない、そういう風潮がどんどんと強くなってきているように思います。
若い時に一生懸命テストのために勉強して一流大学を出た人の少なからずが将来の「安定した収入」のために官吏になりたがる、そんな社会には先がないと言わざるをえません。「モリカケ」「桜を見る会」で、隠蔽、改ざんをした官僚を見ると、気が滅入ります。アホ政権に生殺与奪を握られ、経済的安定(カネ)のために、人間としてのプライドを捨て、国民を裏切り、恥を晒す、子供騙しの情けない言い訳を聞いていると、この人たちは、何のために努力して一流大学を出て官僚になったのだろう、心の中では心底軽蔑しているであろうあの三代目のバカボンを守るためにこれほど情けない姿を全国に晒して、残りの短い人生をどうやって生きるつもりなのだろうか、を思わざるを得ません。
かつて、日本は資本主義的社会主義と呼ばれました。戦後の高度成長によって、企業は儲け、その富はそれなりに再配分されて、節税や投資目的で学問や芸術の分野もサポートされていました。ところが、戦後の高度成長が終わり、企業は安い外国に出ていき、利益をあげれなくなったところは、コストカットや人員整理、でしのぐようになりました。カネを使うのが怖くなり、いくら量的緩和をやってもそのカネは実社会に回らず、結果、株式市場のマネーゲームに使われてマーケットだけはバブル状。ま、これでは、人間性は豊かになるどころか損なわれないわけがないです。ジム ロジャースは近いうちに日本は、犯罪大国になるだろうと予言しました。世界でも類を見ない高齢少子化、世界でも類を見ない20年以上続く経済低迷、世界最大の原発事故、これだけでも日本が危機的状態になるのは間違いないのに、その梶とりをしているのが世界でも類を見ない無能でかつ邪悪な犯罪政府。
こんな国でアカデミアが育つわけがない。20年前は日本から出る科学論文は総じて質が高く、信頼できるものでした。当時の大学院生がどのように働いていたかを思えば、当然と思います。しかし、近年、私の分野では、日本からのパッとした論文を長らく見ていません。そのうち日本の科学も技術も廃れ果てるでしょう。
ただ、この傾向は日本だけではないと思います。中国はあと十年ぐらいは右肩上がりでしょうが、その後、経済発展の鈍化に伴って、頭打ちとなるでしょう。ヨーロッパではイギリスとドイツが科学研究を引っ張っていますが、EUから抜けたイギリスは人的、資金的な困難に見舞われるでしょうし、その他のヨーロッパ諸国はすでに科学レベルでトップクラスとは言い難いですし。世界最大の研究資金を投入しているアメリカでも、グラント一本あたりの研究資金の額は少なくとも30年は変わっていない一方で、競争の激化、研究コストの上昇、人的コストの上昇、加えて現場の状況と無関係に教科される種々の規制などで、優秀な若い世代はアカデミアでの研究キャリアを避けるようになってきています。一部の有名研究室を除けば、人的、経済的な環境は悪化する一方です。
アカデミアも含めて、建前上、資本主義原理が入るべきでないところが、資本主義原理で堂々と運営されるようになってきたことが原因でしょうけど、やはりこの社会体制が破綻するまでいかないと改善は望めないのでしょうね。