百醜千拙草

何とかやっています

枠の中の自由

2020-01-10 | Weblog
うまくいくべきところがうまくいかないことが最近多くて、多少困っております。低調なのに忙しい、インフレなのに不況、弱目に祟り目、ちゅーのですかね。時間におわれ、焦って、浮き足立っているのが悪いようです。

そういうわけで、他人のふんどしで相撲、今日は、最近みつけたチョムスキーの言葉を紹介します。
Chomsky Quotes というツイッターサイトの最初のページ、下のようにあります。

"The smart way to keep people passive and obedient is to strictly limit the spectrum of acceptable opinion, but allow very lively debate within that spectrum".

つまり、言論の自由を制限しつつ、一方で、自由に発言が許されるような部分を意図的につくることによって、統治者は人々をその枠内に囲い込んでしまう、ということでしょう。自由な討論によってガス抜きはするのだが、その自由というのは統治者によってすでに制限されており、人々は自由が制限されていることさえしばしば気づかない。

よくある例えに、象を飼育するのに、小さい時から鎖で動ける範囲を制限すると、鎖をはずしてもその範囲の外に出ようとしなくなる、という話がありますけど、日本の社会もそうですね。
日本ではとくに、「お上」の言うことに逆らってはいけないというような封建時代の文化を引きずっており、例えば、昔の警官などは態度の悪いのがおりました。建前上は日本も民主主義なので、彼らが持っている権力は国民から預けられたものに過ぎないのに、権力なり特権を握ってしまうと、一般国民より偉いとでも勘違いするのでしょう。特権を持たない一般人にも同じことが言えます。権力組織、政府のいうことには盲従する、連中がいくらおかしいことをやっていても、それは彼らの特権であって許されるとでも考えており、政府を批判するのはよくないことだと考えている人が少なからずいます。

ツイッターの議論を見ていると、チョムスキーのこの言葉が実感されますね。山本太郎が街頭演説の時に、「搾取されているもの同士が石を投げ合ってどうする」と言っていましたが、本当の敵は、制限された枠の外にいるのです。それが入れ子構造になっています。枠の中で小さな敵同士がいがみ合う。革マルと中核の内ゲバみたいなものですか。しかし、その枠の外に本来、対峙すべき相手がおり、その裏にさらに表に見える対象を操るものがいる。

この見えないけどいるかもしれない裏のメカニズムを仮定し検討していくことは大切だと思います。見えないものは単純に信じない、のでは思考停止です。見えているものから見えないものを発見していくのが科学であり、単なる陰謀論も同じく思考停止でしょう。

われわれが無意識の内に囚われている枠というのは何か、それは誰が作ったものなのか、その辺はちょっとは考えてみる価値があるのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする