百醜千拙草

何とかやっています

喪中葉書

2020-12-01 | Weblog
随分前から、年賀状を出さなくなりました。年賀状を出すという風習はよいものだと思っていますけど、私の場合はいろいろな些細な事情が重なって出さないことになってしまいました。今はemailやその他の簡単な通信方法があるので、年賀状を出さないからといって別段、人間関係に不自由はいまのところありません。それでも年始の挨拶だけで繋がってる数人の人がおります。

そのうちのお一人は大学院時代に指導してくれた先生の一人でした。
最後に直接お会いしたのは、おそらく10年ぐらい前だろうと思います。奥さんが英文学の学者であったこともあり、夫婦で留学されて以来、海外の知り合いへの挨拶も兼ね、年賀状ではなく英語の詩が書かれたクリスマスカードを送ってきてくれていました。挨拶ごとが苦手な私はいつも遅れて日本語で思うところを書いて、来たる年もお元気でご活躍を、というような型通りの文句をつけくわえていました。
でも、先日届いたのは、いつものクリスマスカードではなく、日本語で書かれた奥さんからの喪中葉書でした。

大学教授として離れた土地に赴任されたのは随分前で、その数年前に地元に家を買われてからです。それ以来、ずっと大学所在地から挨拶状を貰っていたのですけど、喪中葉書は地元の家の住所になっていました。

先生には子供がいませんでした。奥さんと二人でローンを組んで家を買った時は、自分の方が生命保険に入らされたのだ、笑いながら言っていました。その家を買って、数年して大学教授で他県に赴任したと思いますから、奥さんと二人でその新居で幸せに暮らした日々はわずかだったと思います。その家に再び一人で帰ってきて、喪中葉書を書いていたのであろう奥さんの様子を想像して、なんとも言えぬ気持ちになりました。

思えば、大学院時代にお世話になったもう一人の先生も先月の終わりに亡くなって、早すぎる死にしばらく呆然としたのでした。それから一月経たぬ間に、このニュースで、ちょっと打ちのめされました。お二人とも私の大学院時代の指導者で、お二人とも同じ地域に家を買ってから、遠方へと教授として赴任され、お二人とも60台半ばという若さで亡くなられました。人間だから、いつかは誰もが死んでいくのはわかっていますけど、それはあっという間に近づいてきて、突然、予期しない時にやってくるものだと思いました。

お悔やみの手紙を書きながら、この一年弱に起こった出来事を思い浮かべました。一つ一つが破壊的なインパクトをもっているのに、これだけまとめてやってきたのは多分、25年ぶりです。25年前も強烈な出来事が複数起きて、数人の若い仲間や友人を亡くしました。その時に感じたやるせない気持ちはずいぶん尾を引きました。その感覚をまた味わっています。

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