昔の知り合いからメール。随分前に頼まれて、彼の学生の学外学位審査員を引き受けた件でした。どうも、学生さんの学位研究計画書が、何度、言っても改善しないので、他の二名の審査員と一緒に口添えして欲しいということらしいです。
世の中のほとんどの悩みは人間関係らしいですけど、学生や部下との関係というのもストレスフルなものだと思います。人間だれでもエゴやプライドというものがあり、指導に素直に耳を傾けるというのは時に困難です。その辺りをうっかりヘタに傷つけてしまうとあっという間に関係は修復不能な状態へと悪化します。気づいた時にはしばしば手遅れということも多いと思います。
彼の送ってきた朱筆の入った研究計画書をみましたけど、彼のイライラが朱筆から伝わるのですけど、これは多分、感情的なレベルに触れているのではないだろうかと想像しまいした。確かに計画書は問題があり、彼の指摘はもっともです。しかし、思うに、学生さんは多分、彼の話はもう聞きたくないと思っているか、研究に全く興味がないかのいずれかではないかな、と思います。
話がずれますけど、人間は感情の動物であり、ゆえに、プライドの高い人、エゴの大きな人で挫折を知らない人、すなわち精神的に未熟な人、というのは、対処が難しいと思います。そのプライドやエゴは単に大きいがゆえに傷つきやすく、感情の対立へと発展します。何年か前、この手の人と一緒に働くことになったことがありました。この時は、専門英語の文法の誤りを指摘したのがきっかけで、相手の反感を買ったようで、相手はそれが誤りではないのだという反例を集めて延々と反論してきたので、辟易としました。誤った文法で書かれた英語論文など山のようにありますから反例はいくらでも見つかりますけど、われわれの分野の専門家なら必ず指摘する誤りです。こうなると、いくら下手にでても、こちらの言うことはいくら正しくても一切受け入れないぞ、という態度でやってくるので、重要な論点では深刻な問題になります。そのうち、こちらのいうことに100%同意しないということがわかったので、わざと間違ったことを言って思う方向に誘導するということをやっていたら、非常にうまくコントロールできました。エゴやプライドの大きな人は感情的なコントロールについてはその優秀な頭脳は使わないのかも知れません。
最近、別の学業優秀な人々と関わることがありました。かれらの大きなプライドは実績に裏付けられた自信なのですけど、それは結構なことですが、その自信はしばしば領域外まで広がって、学業だけでなく、他の分野において自分は優秀なはずだという思い込みに繋がっている場合があるようです。そういう人々は非常識な行動をしばしばとります。自分は優秀だから自分の行動は正しい、正しい行動だから非常識と非難されても「負けない」とでも思っているのかなと想像します。エゴやプライドの大きな人は「勝ち負け」にこだわりますしね。
しかし、真に優秀な人は常識をわきまえ、常識的に振る舞うものです。常識的であるとは、平均的であるということに近く、優秀であるということはある指標において平均からズレているということです。なので、平均的行動が意図的にできるということは、もう一段上の優秀さではないだろうかと思います。能ある鷹は爪を隠す、とも言いますし。