どうでもいい話。
前回、反戦歌のBella Ciaoの話に関しての連想で。
戦争による愛する人と別離をモチーフにした歌や映画は昔からよくあります。人間の持つ最も尊い感情である「愛」や「慈悲」を奪う人間の最悪の行いが戦争であるからでしょう。私が子供のころは、第二次大戦で大不況を抜け出したアメリカの戦争ビジネスが盛んであった時代で、他国に軍事介入しては戦争を煽り、その都度、大勢の人々が殺され、自然と社会が破壊されてきました。当時の主だったところでは朝鮮戦争やベトナム戦争が頭に浮かびますが、以後もアメリカは大小さまざまな国際紛争に軍事介入してきました。湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、アラブの春、、、数え切れません。イランの戦争を支援して儲けた金で中央アメリカのテロ組織を支援して国家転覆に加担したこともありました。今回のロシアのウクライナ戦争の間接的な原因を作り、煽り続けてきたのも、アメリカ(とNATO)であるとも言えるでしょう。
私の子供時代は、そうした戦争、つまり、人間性の破壊に反対するプロテストソングが流行った時代でもありました。特にギターの伴奏で単純なコード進行にのせてメッセージを強く伝えるタイプのフォークソングが流行していました。多分、ボブ シーガーの「花はどこへ行った」やボブ ディランの「風に吹かれて」に代表されるようなアメリカでの反戦歌のスタイルが数年遅れで日本での流行を作ったのだと思います。当時の日本のフォーク音楽は、プロテストソングと同時にユーミンの言うところの「四畳半フォーク」の二つが主流となります。しかし、これらは同じものの裏表ではないかと思います。困難の中でささやかな幸せを見つけるというありふれたテーマはヒューマニティーへの根源的な賛歌であり、反戦歌はそれを脅かすもの(戦争)への直接的な抗議です。
私が子供時代に聞いて非常に強い印象が残った反戦歌は、その四畳半フォークの代表曲といえる「神田川」や「赤ちょうちん」で知られる「かぐや姫」の「あの人の手紙」です。戦争に翻弄される人々を石を投げられる泳ぐ魚の群れに例えていますが、比較的ストレートな歌詞が子供心には衝撃的でした。
ネットで見つけました。第二次対戦中、日本で唯一地上戦が行われて多くの人が犠牲となった沖縄。その沖縄出身の夏川りみさんとのデュエット。夏川さんの透明感のある声、バイオリンを使った伴奏と間奏、最後のアイリッシュ リール風のリフとなかなか凝ったアレンジになっています。
朝鮮戦争時の反戦歌、もともとは北朝鮮の歌だそうです。フォーク クルセダーズの「イムジン河」(1968)
南北朝鮮に民族が分かれてしまったのも、もともとは日本の植民地主義と敗戦後統治をになった米ソのせいでした。東西の緩衝地帯にあるウクライナがかつてのドイツや朝鮮のようにはならぬことを願います。