フランス大統領選でマクロン再選。対抗馬は極右でプーチンとも繋がりのあるLe Pen。大都市部と東よりではマクロン、北西部でルペンの得票が多かった様子。アメリカの民主党と共和党のように、都市部と田舎で支持政党に偏りがあるのでしょうか。
マクロンの対抗馬が極右というのが、今の世界の潮流を表していると思います。短く言えば「恐れと不安」、「怒りと不満」、「不寛容と敵意」の世界です。
その逆の理想の世界、「平和と愛」の世界というのは、達成されることは困難です。そのためには、その構成員の大多数がある程度成熟し、同様の価値観を共有する必要があるでしょう。つまり、相手も自分と同じように考えているという前提がある程度保障されることによって、思いやりは生まれ、正のレシプロカリティーによって関係性は安定化するものでしょう。強いて言えば、日本が比較的豊かで、一億総中流と言われた時代はそれにもっとも近かったように思います。逆に、「人を見れば泥棒と思え」という社会では自分も泥棒にならなければ、やっていけません。そして、悪貨は良貨を駆逐するの喩えの通り、質の悪いものの方が、全体に対して、圧倒的に影響力が強いです。何か意義のあるものを作り上げるよりも、それを盗み、破壊する方がはるかに簡単ですから。
世界中で貧富の差が拡大する一方の現在で、愛と思いやりは一部の人々の特権となりつつあります。悲しいことながら、愛と思いやりに満ちた人は、愛と思いやりで報いられるのではなく、むしろ利己的で狡いものに利用されて搾取される方が多い、という現状があり、それが人々をよりdefensiveにさせ、人を疑わせ、内向きにさせて、異質なものへの差別と憎悪を生む原因になっていると思います。
それが、右翼的なものへの人々の親和性を増加させているのではないでしょうか。周りは敵だらけで、やらなければやられる、という恐れがあるからこそ、異質なもの排除し、攻撃的になり、そして、それを正当化するために、なんらかの特性に基づいて自分たちが優れていると信じたがるのでしょう。人種差別者はその差別の根拠を己が属する種は他の種よりも優秀であると信じているからこそ成り立っていると思いますけど、客観的現実は、人種も民族も性別も、人間の出来とは無関係です。
ロシアのプーチンは、アメリカと西側諸国がウクライナを足掛かりに東方に勢力を拡大することを恐れました。ひょっとしたら、彼自身をサダム フセインやリビアのカダフィと重ねたかも知れません。その恐れに支配され、先制攻撃によってそれを防ごうとしたのでしょう。
日本自民党と右翼は、中露印を恐れ、アメリカ軍の二軍として前線で戦争を請け負うことで、アメリカの庇護に頼ろうとしています。軍事費を二倍に引き上げ、改憲によって「戦争放棄」を捨て、自衛隊を先制攻撃も可能な「日本軍」にしたいと思っているようですが、これも恐れによって理性を失っているからでしょう。
そして、イギリスやフランスは流入する移民が生活を脅かすのではないかと恐れ、EUを離脱したり、極右政治家を大統領候補にするようなことになったのだと思います。
「恐れ」は自己防衛本能ですから、恐れることを忘れてはなりませんけど、プーチンにしても右翼にしても、ここで共通しているのは、単に恐れることを忘れないというだけはなく、逆に「恐れ」に支配されて、理性的な思考ができないような状況に陥っているということです。恐れのあまりに、自ら戦争を起こし、国力を消耗し、国際社会から村八分になり、多大な人的、経済的損失を被るのは愚かです。孫子も「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり」と言っております。そんな愚かな戦争に至らぬように、外交というものがあるわけですし。
自民党の改憲にしても、愚かとしか思えません。敗戦後のこの「戦争放棄」の憲法を持つ国が、この80年近く、一度も戦場になることなく、国民を戦争で失うこともなかった稀有な事実を深く噛み締めるべきでしょう。
日本はアメリカの「理想」が組み込まれたその憲法を逆手にとって、「戦争ができない」ことを最大限に利用して、戦後の復興と経済成長に集中することができました。アメリカがそれを不公平だと言っても、憲法を盾にかわすことができました。しかるに、湾岸戦争後あたりから自民党政権は実質的に自衛隊をアメリカの戦争の一部に参加させてきたわけです。思うにこれは日米地位協定と日米合同会議に基づくアメリカの「命令」だったのでしょう。しかし、折角の憲法による「戦争不参加」の口実を自ら捨てて、わざわざ国を不要な危険にさらし、国の体力を消耗させて、アメリカの下働きをしようと、アベ一味と自民党は考えているわけですから、浅慮でなければ売国奴、実態はその両方でしょうが。
普通に議論すると、攻撃したら攻撃しかえされ、戦争になったら、それだけで大変な国力を消耗しますし、負けても勝っても大変です。多分、中国やロシアを敵に想定しているのでしょうけど、そもそも、本気でこられたら、現時点で自衛隊の10倍近い規模をもち、三倍の軍事費を割く核保有国の中国軍に勝てるわけがない。仮に在日米軍が参加したところで、その規模は3万人。仮に勝ったところで、そのダメージからは簡単には回復できないし、中国を制圧し続ける能力も体力もないでしょう。日本は戦争に勝つことよりも、戦争をしない、戦争に巻き込まれないことを第一に考えなければならないです。そのための外交ですが、アベのように、接待したりゴルフするだけで、交渉一つまともにできず、カネをばらまくだけしかできないようでは話になりません。
話をもどしますと、要は、世界的な右翼化、ナショナリズムの傾向は「恐れと不安」の高まりの結果だと思います。困ったことは、恐れに支配された人間は、しばしば論理的思考ができなくなり、短絡的で非論理的な結論に飛びついてしまうということでしょう。
日本で、アベのような人間がメディアを支配し、いまだに愚かな言説を垂れ流し、維新のような単なるアジテーターが人気を集める、という反知性が跋扈しているのは、人々がすでに「恐れ」を理性的に解析することができなくなって、それに支配されてしまっているからかも知れません。