百醜千拙草

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使命に生きる男

2022-04-19 | Weblog
山本太郎、衆議院議員を辞職、参議院に鞍替え出馬のニュース。彼にはいつも驚かされます。

将来、司馬遼太郎のような歴史作家が再び現れて、振り返って平成以後の大河歴史小説を書くならば、間違いなく主人公に選ばれる一人でしょう。そして、55年体制を二度ひっくり返した男、小沢一郎がなし得なかった夢をもし継ぐ人間がいるとしたら、きっとそれは彼ではないでしょうか。

最初に驚かされたのは、その自由党の小沢一郎と組んだ時、二度目に驚いたのは、その自由党を離党し、れいわを立ち上げて、たった一人であの短期間に資金と候補者を集め、全国に旋風を巻き起こし、障がい者を国会に送り込み、国政政党になった時、そして、今回の衆議院の躍進とその辞職。

「れいわ」は、企業や組織の後ろ盾を持たず、市民の支援によって成り立っている戦後日本政治史上初の市民政党であり、それが二度の選挙で衆参で五議席を有するようになっているのです。このこと自体が画期的で歴史的な出来事でありますが、残念ながら、この政党の存在の意義を国民もその他の政治屋も十分に理解しているとは思えません。

一歩下がってより大きな視点で世界を眺めると、近代民主主義が成立した二つの大きな出来事はアメリカの独立戦争とフランス革命であったと思います。市民が立ち上がり、自らの手で戦い、政治形態を変え、近代の民主主義を確立した出来事でした。然るに、戦後日本にアメリカから与えられた民主主義は、日本人国民が勝ち取ったものではなく、今日に至るまで上から与えられ振り付けられたものに過ぎませんでした。だから国民に当事者意識が乏しいのでしょう。れいわという政党とその躍進は、日本における最初の市民革命の最初の炎、または近代日本の大規模な百姓一揆であると評価されるべきだと私は思っています。

山本太郎にわれわれが驚かされるのは、われわれ凡人が常識だと思っている前提(それこそが自分自身の思考と行動を縛っているわけですが)を、彼は意図せずして破壊してきたからです。山本太郎は、「大義 (good cause)」に忠実で、それを実現する最適で最短の戦略を深く考え、ストレートに実行する。かつてコンピューター付きブルドーザーと呼ばれた田中角栄以上のスケールで。しかもそのコンピューターの計算と行動力は、「人間は本来、自己中心的なものであり、政治家の目的は安定した地位と権力を得ることだ」というようなわれわれの常識や思い込みを遥かに越えてきます。

それは、彼が政治的目的の達成に強い使命感を持っているからでしょう。原発事故の強い衝撃が山本太郎の中の何かを覚醒させ、原発反対運動で芸能界を干されたことがこの国の深い闇と社会問題に目を開かせることになりました。その政治家としての動機はまさに自分自身の肌身の感覚を通じて呼び覚まされたものであったでしょう。政治の腐敗と無能によって国民生活が破壊されてきたことを直接目の当たりにして、強い使命感に目覚め、動かざるをえなくなったのだと思います。彼の持つ「元芸能人」というほぼ唯一の武器をレバレッジにこの10年で彼が成し遂げたものはただただ驚愕に値します。

人間、少なからぬ人が、生まれてきた以上は、世界に貢献し何らかの果たすべき使命を見つけて、それを全うして死にたい、と思うものです。然るに、多くは、自分自身の生活を維持していくことに精一杯で、あるいは果たすべき使命を見出すことができぬまま、若い日の志を忘れていくもので、かくいう私もそういう一人です。だからこそ、使命に生きる人は輝いているし、見るものを興奮させてくれます。

山本太郎の支持者の少なからずが、彼の政策や理念以上にその人生の賭け方に共感していて支持しているのではないかと思います。一方で、ツイッターなどでのコメントを見ていると批判者も多いです。残念なことに、それらの批判で論理的に納得できるような議論になっているものはほとんどないです。だいたいは、無知による的外れな批判、理解できないものの価値を認めたくないという劣等感からの攻撃、使命に生きる人を妬む嫉妬心からの中傷や冷笑、目立つ人間の揚げ足をとって自分を慰める負け犬根性、先入観と偏見(無知の一種)のどれかです。そして、このようなコメントをわざわざ書き込む人が少なくないと言う事実を思うと、今後の日本の政治と社会の先行きに山本太郎ならずとも、楽観的ではいられません。

この参院選が、今後の日本の暗黒の50年を決定づけることにつながる重要な選挙で、その流れを阻止するのはすでに困難な状況にある、という実感をどれだけの国民が持っているでしょうか。生活に追われ、メディアを政権に支配されて、少なからぬ国民は、これまでもアベ一味が着々と内閣が独裁体制を合法的に敷けるように様々な口実を繰り出しては法整備を進めてきたことを、知らないと思います。そして、その仕上げは改憲です。憲法改悪の問題点として主に議論されているのは、9条関連で、戦争を自由にできる国にするという点ですが、自民党の本来の狙いは、99条「憲法遵守の義務」の項目でしょう。自民党改憲案を見てもらうと、99条改憲案が自民党政権による恒久的独裁化を目指していることが露骨にわかります。すなわち、自民党がやろうとしているのは、立憲民主主義を骨抜きにして合法的な独裁的人治国家を作り上げることでであり、日本のナチス化であり、中国化であり、ロシア化です。この参院選で与党が(すでに多数をとることが予想されているわけですが)議会の主導権を握ると、間違いなく自民党は改憲に向けての動きを加速させることになり、最後の頼みの綱は国民投票のみとなります。日本の国民が改憲の本来の目的も知らされず、与党政府の広報部となりさがったNHKをはじめとするメディアに誘導されて、政府の改憲動議に同調する可能性は低くないです。今のロシア国民のプーチンの支持率をみれば、日本人の投票行動も予測できます。自分で自分の首を絞めているのに、その自覚が欠如しているのです。

与党自民党は、公文書改竄隠蔽や統計改竄、国会虚偽答弁、縁故政治に公職選挙法違反、などなど数々の腐敗に加え、増税にスタグフレーションに円安で国民生活も破壊してきたにもかかわらず、一向に野党の支持が伸びず、逆に維新のような自民党のパシリのチンピラ政党(言葉が悪いですけど、この政党をこの他に形容する言葉が見当たりません)が票を集めると言う状況は、山本太郎でなくても悲壮感に打ちひしがれます。つまり、国民投票となった時でも、誘導に乗って、深く考えずに多数に付和雷同してしまう可能性が強いことを示しています。

大袈裟に言えば、現在、日本は戦後民主主義から戦前の独裁体制へと落とされる崖っぷちにあり、この参院選で最後の突きを喰らうことになるのです。そのことを山本太郎以上に深く実感し強く危機感を持っているものはいないのではないでしょうか。肝心の国民がそれを理解せず、山本太郎の国会での一人牛歩や今回の辞任を「単なるパフォーマンス」と冷笑するような状況です。そのパフォーマンスの意義を理解できないのです。私ならとっくに見限ってあきらめているでしょう。多くの野党議員もその限界の中で仕方がないと諦めている。

山本太郎は、そんな困難な状況にあっても、大義を抱き、使命を確信し、持てるリソースを使って最大限の効果を出すこと考え、リスクを取って大胆に行動し、限界を疑い、限界に挑戦してきたと思います。大河冒険政治小説とでもいうような彼の物語が今後どのように発展していくのか、注目していきたいと思います。

すでに長くなっているので、山本太郎本人が衆議院議員辞職の理屈を説明している彼のブログのページをリンクします。
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