百醜千拙草

何とかやっています

受賞

2022-10-04 | Weblog
ようやく論文がアクセプトになりました。この雑誌は2年前にできたもので、この間初めてIFらしい数字がついたのを見ましたが今のところ1未満です。そもそも希少疾患を扱う研究が多い分野なので、N紙姉妹紙を除けば、この雑誌の親雑誌は分野トップですがIFは10ちょっとしかないような分野ですからIFが低いのは仕方がないです。今後、我々の論文のように親雑誌にリジェクトされた論文が流入していくと、雑誌のレベルは上がっていくのではないかとは予測されます。大手企業がバックにいるベンチャーのIPOを買ったみたいなものでしょうか。

論文がアクセプトになったからと言って、昔のように数年の努力が形になって純粋に嬉しいという気持ちは感じなくなりましたけど、共著者の若い人のキャリアや学位にも多少関係することなので、義務を果たしてホッとはしました。机の上をちょっと整理しました。あと、二つ三つ書かねばなりません。一つは一応雑誌に投稿するつもりですけど、フォローしている時間がないのでPre-printで終わるかもしれません。何からの形にできればそれでいいと思っています。

先週受賞式が行われた今年のラスカー賞はインテグリンでした。つい先ほど、今年のノーベル医学生理学賞はヒトの進化遺伝学のSvante Pääbo氏と発表されました。ヒネリが効いていますな。昨年のDS氏のスキャンダルで芽が消えたmTORはそのうち賞になるのでしょうか。こういった学術賞によって学問研究の意義が多少なりとも世間に知られて若い世代や多くの人々を刺激するというのは人間の社会にとって有用なことだと思います。日本の国際学術賞では、最も知られているのは、先日亡くなった稲森さんが創設した稲盛財団による京都賞ではないでしょうか。京都賞の授賞式はノーベル賞に先立って来月行われる予定です。

かつては自分も賞に値するような発見をしたいと思ったものでした、論文もハイインパクト雑誌に出したいと思っていましたが、今となっては、なぜそんなことを大切にに思っていたのか、不思議です。多分、名誉欲とか承認欲求とかエゴとかそんなものなのだったのでしょう。アントニオ猪木が亡くなる前の映像で、無欲の境地について語っていましたが、欲があるということは人間が生きていく上での大きな推進力なのでしょうけど、年を取ってそれを失っていくというのは果たして幸せなのでしょうかあるいは不幸なのでしょうか。

先週は、久しぶりに昔一緒に働いていた複数の人々からコンタクトがあったり、サプライズで研究室に立ち寄ってくれたりしてくれました。振り返れば、かつて彼らと一緒に共に時間を過ごし、何らかのことをしたということは私の人生の一部でもありました。彼らが昔のことを忘れずにいてくれて訪れてくれたりすることは私にとっての何よりの賞であることを実感しました。そういう賞ならもっと欲しい欲求はまだあります。

コメント
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