「(タイタニック号の)甲板の椅子を並べ替える」という表現は、本質的な問題の解決につながらないムダなことをすることの喩えによく使われます。これは愚かな行いへの批判ではありますが、本質的な問題に対してできることは何もないという絶望的状況を鑑みると止むを得ないと思わせる部分もあります。
一方で、できることややらねばならぬことは一杯あるのに、わざわざどうでもよい仕事に時間とカネを費やしたうえに、椅子の並べ替えでさえやってるフリしかできないという同情の余地なしの某国の与党政府もあります。が、今日の本題は某国政府の無能と腐敗の話ではなく科学出版の話。
先週末、ツイッターから流れてきてかなり大きな議論になったのが、科学雑誌のeLifeの出版ポリシーの変更についてでした。Natureなどの商業出版の金儲け主義に対抗してアカデミアが主体となってPLoSやこの雑誌が出来て、効率的な科学知見のdiseminationを目指して活動してきていますが、今回それをさらに変更するという話。
論文を有名雑誌に載せることは、研究者にとって研究費の獲得や昇進やポジション獲得に密接に関わっており、有名雑誌はの限りある紙面に論文を載せるために自然と競争は激しくなり、不必要に厳しいレビューアからの要求を満たすことが求められます。そのために重要な知見がタイムリーに発表されず、本質的にムダな実験などを強要され、時間とリソースが無駄になっているという現実があります。
この特に有名雑誌におけるピア レビューのシステムが、科学知見の速やかで効率的なdisseminationを阻害ししているという問題は随分前から問題視されており、その批判は正当なもので、現在のPreprintにとりあえず発表するというトレンドはそれに対する解決法の一つだと思います。eLifeもそうした科学出版の不条理に対して、レビュープロセスの公開など野心的な試みを従来から行なってきている雑誌です。
しかし、先に述べたように、論文出版は知見のdisseminationという目的以上に、研究者の評価のメトリックスに使われるという現実があります。有名雑誌に数多く論文を載せることが、研究者の研究資金や職、つまり「カネ」に直結しています。現実に研究資金もポストの数も圧倒的に足りないという激しい競争があり、それに勝ち抜くためのポイントが有名雑誌に論文を発表することですから、有名雑誌に論文を載せることは簡単であってはならず、そのことが論文出版において本来の知見の伝播を非効率にしていると思います。とすると、科学出版の非効率さのそもそもの原因は、突き詰めれば、研究者の数に対して「カネ」が足りていないことです。そして、カネの不足という本質的な問題は、国家的政策を通じてでしか解決困難なものなので、ただちにそれを解決する有効な方法はないという状況にあります。
ですので、今回のeLifeの試み、「アクセプトもリジェクトもしないでレビューされた論文は直ちに出版する」は、論文出版の迅速化には多少有効かもしれませんけど、そもそも論文出版が非効率であるのは、カネの相対的不足による研究者間の激しい競争があって、その勝敗が論文出版にかかっているからであるという本質が無視されているように思います。(というか、この本質的問題に対して一出版社は何も出来ないという状況であると思います)結局、このeLifeの編集方針の変化が本質的に科学出版のあり方を変えるかと言われたら、これ他のツイッターでコメントを寄せている人々の多くと同じく、私も懐疑的ですし、正直、椅子の並べ替えレベルの話で、逆にメトリクス的に混乱を招くだけではないかと思います。
私は、原著論文はすべてPreprintサーバーのみに発表して、オンライン上で分野の専門家が相互評価をつけるシステムにすればいいと思っています。自分の論文を評価しせもらうためには他人の論文を評価することを義務付ければピアレビューはフリーのpreprintのプラットフォームでも成り立つでしょう。そして、商業雑誌や学会雑誌などは、二次的に原著論文を解説する場にして、基本的に総説論文のみを掲載するようにすればよいと思います。ま、このようなアイデアにこの巨大な科学論文出版ビジネス業界が賛成するわけないとは思いますが、それでもビジネスとして成立すると思います。
この記事の一部をDeepLします。
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eLifeでは、査読したすべての論文を、査読と評価とともにReviewed Preprintとして公開することで、論文を独立させることにしました。、、、この新しいeLifeの姿は、著者がすぐに利用でき、1月からは私たちの唯一の運営方法となる予定です。
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研究結果を精査にかけることは、科学的プロセスにおいて不可欠なステップです。そして、査読者に著者の方法、データ、推論における欠陥を特定し、修正する手助けをしてもらうことは、本質的な価値を持つものです。しかし、この精査を出版決定に結びつけると、プロセスが歪み、事実上、推奨が要件に変わってしまいます。その結果、著者はしばしば不要と思われる実験や分析を行い、自分が信じているアイデアや洞察を作品から取り除いてしまうのです。
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最も重要なのは、論文を学術雑誌に掲載することに重点を置いた結果、学術雑誌の名前が事実上の研究キャリアにおける通貨となり、何を出版したかではなく、どこで出版したかに基づいて科学者を判断する慣習が制度化されたことです。、、、
このような病理に直面し、世界中の科学者が、科学出版と科学におけるその地位をより良くするために具体的な行動を起こしています。、、、
この新しいモデルの本質的な要素、つまりプレプリントを独占的に審査し、公開査読と評価を作成することは、すでにeLifeの編集プロセスの中核をなしています。現在行っている最大の変更は、査読後に採否を決定しないこと、そして当然ながら査読者に出版推薦を依頼しないことです。、、、
投稿されたすべてのプレプリントを審査する能力はありませんが、審査に出した論文はすべてReviewed Preprintとして公開します。これは、著者の原稿、eLife評価、個々の公開査読を含むジャーナル形式の論文です。、、、
eLifeでは、査読したすべての論文を、査読と評価とともにReviewed Preprintとして公開することで、論文を独立させることにしました。、、、この新しいeLifeの姿は、著者がすぐに利用でき、1月からは私たちの唯一の運営方法となる予定です。
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投稿されたすべてのプレプリントを審査する能力はありませんが、審査に出した論文はすべてReviewed Preprintとして公開します。これは、著者の原稿、eLife評価、個々の公開査読を含むジャーナル形式の論文です。、、、
というわけで、プロセスとしては、投稿された論文をエディターがレビューに回すかどうかの判断をし、レビューされたものはレビューが終わった時点で出版料($2,000)を取って、レビューを含めてをつけて出版し、reviewed preprintという体裁になるということです。この出版形式がどのように研究者のメトリックスに使用されるのかは興味のあるところですが、問題は最初の部分で投稿されたものはどうもエディターが取捨選択するらしいという点でしょう。つまり、レビューアは評価をするだけで採否の意見は言わない(この辺はNatureとかと一緒ですね。違うのはエディターも採否の判断を行わないという点ですかね)。詳細が不明ですけど、レビューに回りさえすればreviewed preprintとして出版するというのなら、これはエディターの独断だけで採否が決まるということを意味するのかも知れません。そういうことであれば、この雑誌の論文の質の保証が怪しくなり、雑誌の評価は下がり、誰もこの雑誌に発表したいと思わなくなるかもしれませんね。あるいは、reviewed preprintという出版様式が正式な査読付き出版であると評価されるのならば、投稿数は増えて評価が上がるかもしれません。