「正直は最上の政策である」という格言があるのは、それがほとんどの場合で正しい言明だからだと思います。正直さは人間の社会生活を成り立たせるための基本です。もし数割の人々がウソつきだったらもう社会は成り立ちません。銀行に金は預けられないし、医者に治療は任せられません。スーパーの食品表示はウソ、役所の証明書は半分ウソ、しかもどこにウソが紛れ込んでいるのかはわかりません。悪貨は良貨を駆逐する、の法則で、数割のウソは全ての信用を失わせます。
例えば、科学論文では、書いてあることにウソがないという前提で審査され、疑いを持たれたら、潔白を証明するのは、著者の責任です。推定有罪の原則で動いているのは、知見を発信する方も受け取る側も、双方に「正直さ」が要求されるという前提があるからです。有名な例では、結局、誤解による冤罪ということになりましたけど、イマニシ カリ, ボルティモア事件では、科学論文のデータを巡って、裁判にまでなりました。
公人、まして大統領や首相がつくウソは、それよりはるかに高い基準で裁かれなければなりません。クリントンの不倫の一件が裁判になり、罷免決議にまでかけられたのは、不倫そのものではなく、議会での「不倫をしていない」という証言が偽証に当たると考えられたからで、アメリカの裁判所、議会での偽証罪は極めて重い罪です。ウソが許されると議論が成立しないので、裁判そのもの議会そのものが機能しません。
だから、偽証を防ぐために重い罰を課しているのだと思いますけど、また、それは95%の人間にはあるとされる「良心」や「羞恥心」に訴える効果が大きいと思います。例えば、佐川くんが国税庁長官という地位を任期を待たずに辞めてまで雲隠れしたのも、ウソつきと世間に呼ばれて、ウソのおかげで出世した、と言われる日々に耐えられなくなったからでしょう。
しかるに、まれにいる良心や羞恥心を持たない人々、つまり、生まれつき人格に異常がある人々は厄介です。生まれつきの障害なら仕方がない部分もあり、本人も自覚のない場合が多いでしょうから、どこまで責任を問うべきかは人権の問題とも関係します。犯意のない行為は罰せず、ともいいますし。
しかし、一般国民にしてみれば、そういう人格異常者が大統領や首相となって権力を手にするというのは恐怖です。それが、この過去八年間でした。トランプにしてもアベにしても、自己愛性人格障害なのだろうと想像できますけど、彼らが破壊してきたものは測り知れないです。近代社会の根本の前提となっているがゆえに、権力をもつものこそが守り、規範を示していくべきものであるはずの「正直さ」を、逆にアベ スガらが率先して破ることによって、権力増大を謀り、その権力によって官僚をはじめとする国家運営の中枢をコントロールしたいという、非常に利己的でみみっちい動機による根本的な社会の破壊です。
議会における虚偽答弁の深刻さについては、下の小田嶋さんのツイートが本質をついていると思います。
みんなわかってるのかな。国会で総理大臣が虚偽答弁をしていたってことは、寿司屋で板前がウニの代わりにウンコの軍艦巻きを出してたのと同じくらいひどいことなんだよ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) November 25, 2020
寿司屋に行って、xxコ巻きを出され、注文を拒否されて、ぼったくられたら、その手の趣味のない普通の人は、強烈に怒ると思いますが、国会でアベがウソをつきまくり、スガが回答拒否を連発し、役所では佐川くんが公文書を改ざんし、財務省が勝手に消費税を上げても、一向に平気な(どころか、逆に支持する)人が多いのは理解に苦しみます。
今回は、読売がこのサクラでアベ側の捜査を進めている検察の動きをスクープしたらしいですけど、それが不気味です。タダのガス抜きでないなら、権力の手先だった読売が権力の手先の検察の動きをわざわざ拡散するのはなぜなのでしょう。普通に考えたら「権力」はアベから離れつつあるということを意味していると思われます。つまり、陸山会事件の時と同様に、今「サクラ」が再燃すると得をする自民党の誰かさんが謀った可能性が強いと思われます。アベというトカゲの尻尾を切って、万が一のアベの再登板の芽を潰し、加えて国民の注意をそらせることで得をし、かつ検察を動かせる人間となると、陸山会事件の黒幕と同一人物とそれに担がれている男ではないか、などとゲス勘するわけですが、陰謀論っぽくなるのでやめておきましょう。
個人的には検察が更生してマトモになったということであって欲しいとは思います。
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