百醜千拙草

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ツーソン銃撃と扇動者

2011-01-11 | Weblog
先週末、アリゾナ州ツーソンで、アメリカ民主党議員ギフォーズ氏を狙っての銃撃で6人が死亡した事件がありました。犯人は22歳の白人男性。犯人は捜査に協力的ではないので詳細は不明ですが、犯行声明のような書類があって、意図的にギフォーズ氏を狙ったのは間違いないようです。その動機に政治的なものがどれだけあるかはちょっと不明の感じです。
 若者ですから、オクラホマの爆弾テロのように一人よがりの正義感に自己中毒をおこしたのかも知れません。若者は失敗を繰り返して成長するわけですが、こういう取り返しのつかない失敗はしないように気を配るのは社会の大人の責任でもあると思います。いずれにしても、この人自身が取り返しのつかない犯罪をおこし、多数の人々を障害し、9歳の女の子を含む6人を死亡させた、というこの人が負うべき罪の重さは変りません。
 メキシコと国境を接するアリゾナは不法移民に悩まされてきました。その不法移民への対応を独自に強化する法律をアリゾナ州は作り、全米でその賛否について大きな議論が巻き起こったことは記憶に新しいです。ヒスパニックをその大きな支持基盤に持つアメリカ民主党は、概してこのアリゾナ州の不法移民取り締まり法について人権的な観点(もちろん本音は政治的)から支持しないという見解を示してきました。一方で、オバマ民主党がニューディールもどきの経済刺激政策を断行し、民主党が50年以上にもわたって導入を求めて来たヘルスケア改革(先進国では当たり前の国民皆保険制度)を導入して、財政赤字を増やしたことに対して、小さな政府を主張する共和党系の動きも活発化し、各地でティーパーティー運動も盛んになりました。こういう共和党を支持する昔ながらのキリスト教系白人は、政府が大型化し、白人以外の人種の人権や公民権を尊重しようとする傾向を、自分たちの既得権を侵害する脅威として感じているのでしょう。多くは田舎に住む彼らの意識としては、おそらく、自分の身は自分で守るアメリカ開拓時代の精神が残っているのでしょう。自分たちの意志と離れたところで決められる連邦政府の方針によって彼らの既得権が損なわれているという被害意識が、とりわけ民主党政権や民主党議員にたいする憎悪として現れるのではないかと思います。ティーパーティー運動がなぜ起こったか、それはカネです。ボストンのティーパーティー事件は宗主国イギリスの重税に対する不満の爆発として起きて、独立戦争へと発展しました。自分たちのカネを搾取されることに我慢ができなくなったアメリカ農民が戦士となりました。アメリカ経済が悪くなり、庶民の暮らしが苦しくなる一方、連邦政府は景気刺激のために更に赤字を積み重ね、金融機関をbailoutしている、そのことがそもそも目減りする既得権に危機感を抱く田舎の中流白人の不満を大きくしました。景気が良くなればティーパーティー運動というものは消滅します。しかし、それまでは、持てるものと持たざるものとのdisparityは、対立と憎悪を生み、今回のような事件に繋がって行くことは止められないと思います。日本でもそうです。経済が低迷し、人々の暮らしが苦しくなってきた日本は、これ以上宗主国、アメリカの言うがままにカネを差し出し続けることはできません。国民の生活の困窮が、どうも、国民搾取システムである官僚、アメリカ、マスコミと癒着した自民党の55年体制にあるということに人々は気づき、一昨年の政権交代が実現されました。残念ながら、これらの既存の搾取システムのなりふり構わぬ攻撃と迫害によって、鳩山-小沢政権は退陣させられ、獅子身中の虫、テロリスト、空きカンに政権が乗っ取られました。マスコミに洗脳され続けられてきた国民の意識が十分に成熟していなかったこと、それが、このテロを成功させてしまったと思います。自分の国の将来を自らの手でつかみ取るという覚悟の差、これが、イギリスから独立できたアメリカと、アメリカから独立できない日本の差ではないかと思います。

ところで、このアリゾナの事件について、先の副大統領候補、頭の中身がマエハラ氏なみの危険人物、サラ ペイリンの影響を多くの人が指摘しています。ヘルスケアリフォームの推進者としてペイリンが自身のFaceBookページで、名指しで攻撃目標としているうちの一人がギフォーズ氏でした。しかも、このページ、ペイリンらしく銃の標的マークを地図に示すという悪趣味ぶり(http://www.facebook.com/note.php?note_id=373854973434)(http://www.huffingtonpost.com/2011/01/08/sarah-palin-statement-shooting_n_806224.html)。ギフォーズ氏の銃撃が、ペイリンの悪趣味極まりない扇動に乗せられたナイーブな若者によってなされた可能性を人々が想像するのも無理はありません。ギフォーズ氏は、事務所の被害を受けたとき、テレビのインタビューに答えて、「私たちはサラ ペイリンの標的リストに載せられている。実際、私たちの選挙区に狙撃銃の照準が合わせて(地図に)示してある。こういうことをすると悪い影響があるということを、人は理解しなければならない」とペイリンを非難しています(http://news.yahoo.com/s/dailybeast/11746_gabriellegiffordsshootingdontblamesarahpalin)。そして、彼女は銃撃されて、現在、生死の間にあります。
 一方、この標的地図は一年前に作られたものであり、今回の銃撃とは直接関係はない、という意見もあります。ペイリンの悪趣味な扇動が主原因であるとは私も思いませんが、影響がないとはとても言えないと思います。火そのものではなかったにせよ、油を注いだには違いないのではないかと思います。
 言論の自由が保証されている国であるからこそ、自分の言葉や行動には責任を持たねばならない、私はそう考えています。あいにく、ペイリンやマエハラ氏には、そういう自らを律する責任感というものがありません。彼らは口先だけで人々を扇動するアジテーターに過ぎず、人々を導くリーダーとしてのもっとも重要な資質、誠実さと責任感が欠如していると私は思います。彼らは煽動によって我が身の人気を得たらそれでよいと思っているようです。その煽動が起こすであろう影響を想像できるほどの知能がなく、そして、口にする言葉の重さを知りません。責任という言葉を知りません。
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