先月の学会以後、いろいろと忙しくてストレス溜まり気味です。忙しいのは学会レポートや論文のレビューなどなどの締め切りのある雑用が重なったのと、実験助手の人が急に辞めてしまったためで、忙しい割に本業の研究の方が遅々として進まないのが余計精神衛生に悪いようです。この週末も締め切り間近のグラントの準備をシコシコしていました。それと、来年夏を第一目標にに新たなプロジェクトのネタを練らないといけないのですが、なかなかグラント向けのよいアイデアが出てこないのもストレスの原因です。グラント向けのアイデアは、グラントレビューアが「意義がある」と思うようなネタでなければならず、かつその研究遂行能力が私にあることを示せなくてはならず、そして当然、私自身が心から面白いと思えなければならず、加えて、研究を無事遂行できる現実性を示すだけのデータや根拠を提出できなければならなりません。アイデアはソコソコ思いつくのですが、なかなかこういう条件を満たすものはありません。とにかく今週の小さなグラントを集中して済ましてしまってから、ゆっくり考えようと思っております。
辞めた実験助手の人のかわりに、数ヶ月前から無給で来くれている人が思わぬことから予定変更になって国に帰るのをやめて来年秋まで残ることになりました。彼女は自国で修士課程を終えた後、博士課程進学までの間の経験のためにと来たのですが、彼女の本国の経済危機が深刻になり、アテにしていた大学の博士課程プログラムが大幅に縮小されたために進学できなくなったためです。彼女の国では若者の失業率は4割近く、最近も格差反対デモで警察と衝突した市民が多数負傷するというニュースを見ました。将来的に自国で研究者を目指すのは不可能と見切って国を出る決心を固めたようで、大変気の毒です。あいにく私は給料も十分には払えないのですけど、それでも国に帰るよりはマシだし研究は楽しいからいい、と明るくしてくれているのが救いです。来月からも一人若手の女性が来てくれる予定ですが、彼女の本国も先の人以上の経済危機なので、すでにちょっと心配に思っています。
日本も間もなく彼女らの国のようになっていくのでしょう。いうまでもなくこれは企業資本主義(カネ)と官僚主義(権力)が結びついて、一般国民を喰いものにしてきた結果であり、日本も同様です。加えて、日本の場合はアメリカの圧力が大きいことが話をより難しくしていると思います。TPPは導入されたら、確実に日本の今の現状を悪化させ、食料をアメリカに握られ、日本のインフラを支える産業や医療は利潤追求のためのバクチの道具に使われて荒廃させられるでしょう。結果、日本は自力で食っていくことができなくなり、国民の大多数が非正規職員として低賃金労働者とならざるを得なくなり、アメリカと一部の日本の資本家の奴隷と成り果て、貧しい国になっていくと思います。そうなってしまうと日本はアメリカにとってもうま味のない国ですから、最後は核廃棄物のゴミ捨て場ぐらいにされてしまうのが関の山となりかねません。
今の政府が余りにヒドいので国民が立ち上がりました。「TPPを断固拒否するデモ」が開かれるようです。(コチラ)
日本の民主主義は、民主主義の独立国家という看板を戦後、アメリカに掛けてもらっただけのもので、他の諸国のように民衆が市民革命を経て勝ち取ったものではありません。人の権利や尊厳はしばしば侵害されます。現在の日本ではそれが本当に目に余ります。それに対してどう反応するか。若い時は、仏教が教えるように「忍辱」こそ尊ぶべき態度だと考えておりました。個人の問題と内在化して耐えることをまず考えるべきだと思っていました。もちろんそのような小乗的発想は必要でしょう。しかし、それでは子供や弱い立場の人々は救われません。それで、最近は「闘うこと」は重要だと思うようになりました。若い時は、正邪、明暗、善悪というのは相対的な価値観に過ぎないと思っていました。しかし、最近は人間社会においては、これらは光と影のような受動的な関係ではなく、独立して、絶対的な善というものがあり絶対的な悪があるように社会ができているのだと考えるようになりました。若い時は経験が足りなかったので絶対的な善悪というものが理解できなかったのだと思います。
日本も本当に民主主義国家であるためには、われわれ自身の権利は、闘いを通じて勝ち取ることが必要なのではないか、などと思うようになりました。血を流して勝ち取ってこそ、その尊さが理解できるのではないかと思うようになりました。血を流して闘うことが好きな人はいないでしょうが、もうすぐ否応無く闘わざるを得なくなるような気がします。闘わなければ生き延びることさえできなくなる時代になっていきつつような気がします。そうなった時、一連の小沢事件の本当の意味が広く国民に理解されることになるのでしょう。