酵母でみつかった長寿遺伝子Sir2とその関連遺伝子 (Sirtuins) は、その揺るがぬ地位を確立したものと思っておりましたが、この度、Natureに、Sir2過剰発現による寿命延長効果は、より遺伝的バックグランドを均一化すると消えてしまうという反駁論文が出ていました。
Sirtuinsと代謝と寿命の関係は、MITのLenny Guarenteとその弟子、HarvardのDavid Sinclairらが二十年来積み上げてきた仕事で、一般社会へのインパクトも小さくありません。彼らは、Sirtrisという今は大手製薬会社の子会社となっている会社を作り、Sirtuin刺激因子を商品化しようともしています。また、Sirtuinの刺激因子が含まれているという理由で健康に良いと赤ワインも宣伝されてきました。これらの根拠になっているのが、Sir2による長寿効果というワケですから、研究という分野を超えて、一般にも今回の反駁論文が及ぼす影響は大きそうです。なにより、通常、「効果がなかった」というnegative resultがNatureのような一流雑誌に載るということからしても、このトピックの話題性がうかがえます。フロントページではこの論文に関して見開き2ページを使い、二本の論評を載せているという破格の扱いも、今回の論文の影響の大きさを物語っています。この論文は基本的にnegative dataに基づくもので、もしこの論文がNatureにrejectされていたら、マトモな雑誌に載っていた可能性は低かったのではないかと私は想像します。そう言う意味でもこの論文をNatureが採用した意義は高いと私は思います。即ち、Negative dataであっても、十分にコントロールを取って行った研究で、強い結論が得られ、その結論の意義が高いと考えられるような論文は一流雑誌に採用されるべきだ、というメッセージを発したということです。
この論文を見て、一昨年の年末、私はLenny Guarenteの話を聞く機会があって、その時の印象をブログにも書いたのですが、その時の軽い失望感が蘇ってきました。
「研究」とはデータと論理に基づいて何らかの客観的事実を明らかにする活動と建前上は考えられているわけですが、データをとるのもそれを解釈するのも、「誰か」が基本的には恣意的な基準を使って行っているわけで、極論すると、主観の入らない客観などというものは無いと言ってもよいかも知れません。Guaranteの話を聞いた時、彼の示したデータは確かに結論を裏付けているのですが、私は、何かわからないけどしっくりこないと感じたのでした。私は、現実的に研究者のもっとも重要な才能とは、「カン」だと考えております。何かしっくりこないと思う時、何かがおかしい、そういうことを何度も経験してきました。今回の論文で、Guarenteの話を聞いたときの「しっくりこない感」は、ひょっとしたらコレだったのだろうかと、振り返って思ったのでした。
ところで、陸山会事件の不当判決の余波がまだまだ残っています。マスコミは有罪という判決だけを国民に刷り込んで、この判決の本当の意味を悟らせないようにと気を配っているようですが、今日、読んだ二つのブログ記事をリンクしておきたいと思います。
一つは山口一臣、週刊朝日元編集長の二つの記事、陸山会裁判判決要旨を読んで気がついたこと(1)、とこれが判決文コピペ事件だ、です。これらの記事の中で、山口さんは、次のことを発見しています。
ここまで書いて古い資料をひっくり返していたら、驚くべきことに気がついた。先ほど指摘した、判決要旨に書かれた岩手県等における公共工事の受注に関するくだりは、西松建設事件の裁判のときの検察側冒頭陳述の丸写しだったのだ。
なんと裁判所の判決文が、別の裁判の検察の冒頭陳述のコピーだったという、裁判所と検察の腐った関係を露骨に示した吐き気のするような話です。ここまでこの国は腐っているのですね。
もう一件、平野貞夫さんの、憲法原理を崩壊させた陸山会事件の判決。
このタイトル通りのことで、日本がますます官僚が牛耳る国家権力による市民支配へと進んでいくファシズムの流れにあることを指摘しています。この傾向は10年も前からあり、ますます強くなってきました。そのうち、戦争になって国民が赤紙をもらう日も近いでしょう。