週末、ガダフィのことを書きかけてうっかりそのまま投稿してしまいました。題名をつけてそのままにしておきます。そこで引用したFifiさんのブログのちょっと前のエントリでアメリカなどでの「反格差デモ」に関しての意見が非常に興味深いと思いました(「わがままデモ」だよね?)。
いわゆる反格差デモが各国の都市で行われている。世界中でというより、今回のは主に先進国で広がっている。ニュースでなんど見ても、イマイチその主張がハッキリしないのも特徴。
で、実際彼等は何に爆発したの?先進国が好んだ資本主義において格差が生まれるのは当たり前でしょ?富裕層が生まれてそれらが大多数を支配する。今まで通りじゃない?
むしろ、その制度を国際経済に導入して国際社会に格差をうんできたでしょ?世界を見たら今までだって貧しい国はずっと貧しかった、大国のために利用され、いつまでも虐げられてきたじゃない。
いまさらって思うようなことがあれば、それはただ、富裕層だたったはずの?いや、当然富裕層に参加することを期待していた先進国の若者たちがその将来設計を狂わされてることに不安を感じて暴れただけでしょ?
アメリカは今まで世界中の弱者から富を吸収して贅沢してきたじゃない?そのうえ、アメリカであるとゆうだけで、その思想を世界の国々に押し付けてきた。
主張がハッキリしないというのは、闘うべき「敵」を彼らも明確に定義できていないからではないか、と私は思います。反格差に関する最近の内田樹の研究室のエントリーでは、日本の社会運動について以下のように総括しています。
戦後日本で大きな社会運動が起きたのはすべて「反米ナショナリズム」の運動としてです。
外形的には「左翼」主導の運動でしたので、本質は見えにくいですが、そうなのです。
内灘闘争以来の反基地運動、60年70年の二次にわたる安保闘争、佐世保羽田に始まるベトナム反戦戦争などなど・・・巨大な動員をもたらした社会的な異議申し立ての運動はすべて本質的には反米闘争(すなわち「日本の主権回復闘争」)として行われました。
今の日本の格差社会は「アメリカ的社会観」が作り出したものです。そして、これまでの質問でお答えしてきたように、若者たちは「アメリカ的社会観=能力のないものが階層下位にとどまるのは当然であるという考え方」を深く内面化しております。
ですから、もし彼らが「アメリカ的な社会観・人間観からの脱却」という枠組みで、「格差社会の是正」ということを言い出したら、その主張は広範な国民的共感を獲得する可能性があります。
日本で劇的な社会改革運動を起こそうとしたら、それは「アメリカの属国であることを恥じる、主権奪還の闘争」として行われる他ない。
現代の壮年以下の世代でアメリカが日本の宗主国であり、日米は主人と奴隷の関係にあること、マスコミの言う「トモダチ」とは、(誰が言い出したのか忘れましたが余りに喩えがスバらしいので引用させてもらいますが)良くて、ジャイアンとのび太のような関係に過ぎないこと、日本の権力は彼らの出先機関であること、そう認識している人はどれくらいいるでしょうか。同様に、アメリカの一般市民で、現代の格差社会を作り出したシステムを構築してきた本当の彼らの敵を認識している人は多くないでしょう。私も正直「誰が敵」かは言えません。ロッカフェラなどのユダヤ金融だというのが定説でしょうが、彼らは表に姿を現しませんから。それと比較すると、アラブでの敵はハッキリしています。アメリカです。政治的主張もしやすい。日本でも敵はアメリカと言ってもよいですが、彼らの価値観や社会システムが余りに深く現代日本に浸透して内部から日本を支配しているので、それを外在化して一般国民にとってアメリカを共通の敵だと認識するのが難しいのではないかと私は思います。一方、アメリカ市民にとっての敵とは誰か、それは、アラブが敵と呼んで来たアメリカのことであり、日本がトモダチという名前の宗主国と崇めて来たアメリカに他ならないと思います。即ち、カネを武器に支配力を牛耳って来た一部の人々のことであり、故に自動的にユダヤ金融だという結論になるのだろう、と私は思います。しかし、外国からみれば、もちろんアメリカ一般市民も、アメリカの諸外国からの搾取の恩恵を受けて来たわけですから、Fifiさんのように考えるのももちろん理解できます。
土曜日にノームチョムスキーがOccupy Bostonの集会で講演しました (下)。アメリカの経済発展の歴史を振り返り、アメリカの経済の中心が製造業から金融操作業へと移り、富(カネ)の偏在が極端化してきたことの問題点、Occupy Bostonなどの市民の運動の意義を確認する話でした。最後に、核問題や環境破壊についてもアメリカ政府が問題を先送りして問題を大きくしてきたことを批判しています(日本政府に比べたらまだマシには見えますが)。
カネはかつてはモノの流通や交換のための道具に過ぎませんでした。カネが人を支配する力を持つことが明らかになると、モノを買うための道具としてではなく、その道具そのもの直接操作して支配力を手に入れる者が現れました。銀行屋です。ちょうど日本の立法と司法のようなもので、法を作りその遵守を司るべき所が、実は不法を働き、彼ら自身に都合の良いように法を作り替えてきたように、人のカネを預かるべき銀行がそのカネ(ゴールド)を盗み、それを紙幣を刷り散らかして誤摩化し、挙げ句に税金で補填させたりしてきたわけです。一般市民の富は消えて無くなったのではなく、一部の人間に局在しているのことです。
反格差社会デモでの主張はわりとはっきりしていると私は思います。市民の富を不正に局在化させてきたシステムに反対しているわけです。問題は現時点でのその責任者がはっきりと特定できないということです。政府に煽られたとは言え、金融バクチに参加してきたアメリカ市民自身も一役買ってはいるわけですし。
いずれにせよ、私は社会主義的(極端には共産主義的)政治システムがある程度導入されない限りアメリカ市民の生活は今後も下降の一途となると思います。一方、その闘いに敗れた時におこることは、食料やモノのコントロールを通じて一般人を支配する世界的金融ファシズムであろうと思います。
加えて官僚ファシズムが国民を蝕む日本は、アメリカよりもまだ悪いと私は思います。アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくのはいまだにその通りで、アメリカが落ちてきたら、そのクッションをするために日本はその下敷きにされるようになっています。アメリカを敵として闘うというアイデアも有りかと思いますけど、日本人でありながらその手先となって売国に加担してきた霞ヶ関の連中や売国政治家の方が私はもっとたちが悪いと思います。
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