百醜千拙草

何とかやっています

バッハで書きもの

2013-01-25 | Weblog
バッハのピアノ曲を聞きながら書きものしております。小学生の時は歌謡曲、中学生はフォークとロック、高校、大学はジャズやソウルと音楽の好みが変わってきました。年のせいでしょうか。しかし、私と同年代の同僚研究者でもずっとヘビメタ一筋の人とかも(若いときに医学生バンドでレコード出してたそうです)いますから、音楽の好みが変わるというのは年齢とは関係ないのかも知れません。プロでもそうですね。スティーブンタイラーなんかあの年でも若い時から格好もスタイルも同じです。逆に音楽性が変化するする人も少なからずいます。スタンダードジャズを歌い出したロッドスチュアートとか、あまり感心しませんね。ジャズシンガーとして歌がうまいわけでもありませんし。大体、私はジャズは若者が主張するための音楽で、スタンダードジャズと呼ばれるスタイルの音楽は本当のジャズではないと思っています。そういうラウンジのお酒のお供みたいな音楽を、仮にもかつては先端のブリティッシュロックをやっていた人間がやりだすということにどうも抵抗があります。
 最近は音楽そのものを聞くことが少なくなりましたが、もっぱらクラッシックです。それもロマン派より前のものがいいです。若い時、渡辺貞夫さんが「音楽は美しくないといけない」と言ったという話を聞いて違和感を持ったのを覚えているのですけど、最近は素直に同意できます。ちょっと前は女性ソプラノのアリアを聞きながら作業していましたが、これは本当に「聞いてしまう」ので、頭を使う作業中には向かないことがわかりました。それでバッハのピアノ曲に落ち着きました。
 若い頃に自分で買った唯一のクラッシックピアノのアルバムはホロピッツとグレングールドでした。当時はYoutubeなどない時代です。ホロビッツのアルバムはベートーベンの三大ピアノソナタで、ジャケットはホロビッツが笑顔で座っている写真です。レコードを聞きながら、きっとこの人は感情豊かに演奏するのだろう、と想像していました。一方、グレングールドのジャケットはモノクロの若いころのグールドの気難しそうな顔がいくつか合成されたもので、バッハのパルティータとフランス組曲だったような気がします。レコードを聞いて、きっとグールドは機械のような冷たさで演奏するのだろうと想像していました。それから何年も経って、Youtubeでホロビッツやグールドの実演を見る機会があって、私の最初の印象が全く逆だったことを知りました。ホロビッツのテクニックは驚愕ものでした。まったく表情も姿勢も変えずに手をべったり開いて手首を低くした異様なスタイルで、それこそ手だけが別の生き物かのようなクールさでホロビッツは演奏するのでした。逆に、私はグールドの演奏を見て、グールドに対する偏見が根拠のないものだと分かりました。グールドは後年コンサート活動をやめ、スタジオ録音しか発表しなくなりましたし、随分、他の人とは違った弾き方をします。そんな気難しい変人だという世間の評価が私の偏見のもとであったのだと思います。しかし、ビデオでみるグールドの姿に私は単純に感動しました。あれ程、音楽に入り込んで、愛おしそうにピアノを弾くのだとは思いませんでした。それをみているだけでも楽しい暖かい気持ちになります。二人ともこの世を去って久しいですが、Youtubeのおかげで私は今日も彼らの演奏を聞くことができます。
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