tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

祝詞といえば、大祓詞(おおはらえのことば)

2012年01月02日 | 記紀・万葉

お正月なので、祝詞(のりと)の話である。『古事記』の勉強を始めて以来、神社で祝詞を聞いていると、何となく意味がとれるようになってきた。「音」(楽曲)として右脳で聞いていたものが、「詞」(歌詞)として左脳で聞こえるようになってきた、とでも言うか…。

最近読んだ板坂壽一著『はじめての古事記』(日文新書)に、「はじめての祝詞」の章があった。《祝詞とは 本来は、神式の祭典における神からの「宣り説き言(のりときごと)」であり、のちには人から神への願いの言葉となったようです。その始まりは遥かな神代と考えられ、現在もさまざまな祭事で、新旧のものが唱えられています》。

大祓詞(おおはらえのことば)と古事記  “祝詞のなかの祝詞”とされる基本的なもので、千余年前に編集された『延喜式(えんぎしき)』におさめられています。― 著者の私見では、古事記賛歌とでもいうべき一編であり、外来の「聖書」と「賛美歌」の関係に相当するでしょう ―》。なるほど、これは分かりやすい喩(たと)えである。

Wikipedia「大祓詞」に、詳しい解説が載っていた。《大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。中臣祓詞(なかとみのはらえことば、略して中臣祓)・中臣祭文(なかとみさいもん)とも言う。元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪(神道の観念による「罪」であり、犯罪とは意味合いが異なる)・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある》。おお、「朱雀門」前で唱えられていたのである。

《現在では大祓の際に参拝者自らが唱えるほか、神社本庁包括下の神社では毎日神前にて唱えられている》。祝詞の前段では《葦原中国(あしはらのなかつくに)平定から天孫降臨し 天孫が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られる。そしてそのような国の国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、そのような罪が出たときの罪の祓い方が述べられる》。

HP「玄松子の神社知識」に、その全文が載っている。石文書院刊『現代人のための祝詞-大祓詞の読み方-』からの引用である。冒頭の部分は《高天(たかま)の原(はら)に神留(かむづ)まります皇(すめら)が睦(むつ) 神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて 八百万(やほよろづ)の神等(かみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ給(たま)ひ 神議(かむはか)りに議(はか)り給(たま)ひて 我(あ)が皇御孫(すめみま)の命(みこと)は 豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みづほ)の国(くに)を 安国(やすくに)と 平(たひ)らけく 領(し)ろし召(め)せと 言依(ことよ)さし奉(まつ)りき》。意味が分からなくてもリズム感があり、頭にスッと入ってくるから不思議である。古くからの日本人の頭脳構造にフィットするように作られているのだろう。

末尾の部分は、『はじめての古事記』(日文新書)によると《天(あま)津神(かみ)・國(くに)津神(かみ) 八百萬(やほよろづ)の神等(たち)共(とも)に聞(きこ)し食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)す》となっている(石文書院刊『現代人のための祝詞』とは少し違う)。この「恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)す」(畏れ慎みながら申し上げます)という部分はよく聞くフレーズなので、ご存じの方も多いことだろう。こういう語調で全編を読み上げるのである。

「罪を祓うために唱える」という発想は、お水取り(東大寺二月堂修二会)が悔過法要(十一面観音に罪過を懺悔し、その功徳によって除災招福を祈る)である、という趣旨と重なる。大祓詞は天智・天武~文武天皇の時代に成立したとのことだが、案外、聖武天皇はこの祝詞にヒントを得ていたのかも知れない。

この「古事記賛美歌」、トップに貼った動画(YouTube)で聞けるので、いちどお試しいただきたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする