奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)のソムリエ有志により結成された「奈良まほろばソムリエ友の会」(154人)では、会員から希望者を募り、「神武東征伝(日本書紀)勉強会」(35人)を開催している。奈良検定のテキストに記紀の記述は皆無に等しいので、検定試験には出題されない。だからソムリエ合格者といえども、記紀はほとんど読みこなしていないのが実情である。
勉強会は全4回で終了する予定で、その第1回が1/11(水)の夜、奈良市内で開催れた。講師は、奈良県観光ボランティアガイド連絡会会長の木村三彦さんである。木村さんは30年以上前、月2回のペースでご近所のお仲間と記紀の輪読会を始められ、古事記は2年、日本書紀は7年かけて読了されたそうである。
テキストは岩波の日本古典文学大系『日本書紀』。あとは木村さんにプリントしていただいた系図、神武東征の地図、干支(かんし)順位表、神武天皇聖蹟調査報告の一部など。神武東征伝を選んだのは、記紀神話のなかでも大和に関わりが深いからであり、古事記ではなく日本書紀をベースにするのは、書紀のほうが断然記述が詳しいからである。
当日の内容については、一番前に座っておられたkozaさんが(桜井市在住)、ご自身のブログ「大和・桜井の歴史と社会。季節に合わせてゆっくり歩く」にすでに詳しく掲載されているので、紹介する。《「記紀神話のなかでも大和に縁の深い、神武東征の部分を、『日本書紀』に基づいて」学ぼうという企画である。学習会の資料もレジュメ的なものはなく、岩波の日本書紀の「神武東征」の読み下し分がコピーされて配られた。他には、瀬戸内海を中心にした東征地図、難波津を中心にした緒戦の地図とか、神統譜(しんとうふ)、干支(かんし)順位表などの資料のみである。学習は木村さんが、読み下し分をとうとうと読み上げながら、適時、解説する方法である》。
《この学習は期待通りのものである。数多くの解説本、現代語訳を読み、それで論じ、それを書いてきたが、やはりこれでは変だと思っていた。少し、公的なものを書く必要が生まれ、これではと考え、古事記の読み下し分を読んだ。十冊の解説本を読んでも判らないことが判った。「今度は日本書紀かな」と思っていたところの企画で、願っても無い学習会である。「古事記や日本書紀にほんとうの話が書いてあるのか」という声もあろう。紀元前600年の神武東征、邪馬台国よりも800年も前の話だから、そこに時間的な事実がないのは当然である》。

木村さんは、「客観的事実」と「信仰的事実」という言葉で説明された。神武天皇がいたか、いなかったか、という客観的事実が大切なのではない。そのような伝承があり、人々はそれを信じ、お墓(御陵)まで築いたという「信仰的事実」に思いを致したいのである。
勉強会では、戦前の文部省が選定した「神武天皇聖蹟地」(全19か所の東征ゆかりの地)のリストも配付された。奈良県下には7か所あり、それは以下のとおりである。
1.菟田穿邑(うだのうかちのむら) 宇陀市菟田野区宇賀志
2.菟田高倉山(うだのたかくらやま) 宇陀市大宇陀区守道高倉山頂
3.丹生川上(にふのかわかみ) 東吉野村(丹生川上神社中社 摂社丹生神社北側)
4.磐余邑(いわれのむら) 桜井市吉備(春日神社の北側)
5.鵄邑(とびのむら) 生駒市上町 出垣内バス停東南の丘
6.狭井河之上(さいがわのほとり) 桜井市茅原(狭井神社の北)
7.鳥見山中霊畤(とみやまなかのまつりのにわ) 桜井市(等弥神社の南側)
kozaさんのブログに戻る。《僕は思う。日本書紀や古事記を読むとき、僕らは720年の地平に立つべきだと。神武東征は奈良時代から考えても1300年前のことだ。神武東征と現代を直結させるのではなく、奈良時代の人がどう受け継いできたが、どう考えたかを読み取る必要がある。「神武東征」という神話が奈良時代になぜ必要だったかと考える。「東征に関わる神武ゆかりの地」が、その後の1300年でどのように扱われてきたかを考えるのも一つの歴史である》。
確かに、西郷信綱氏も『古事記の世界』(岩波新書)に《古事記を理解しようとするには、現代という椅子に腰をおろしたままふり返って眺めるのではなく、古事記の世界に実践的に入りこんで行き、古代人と親しく交わるようにしなければならない。(中略) 私は古事記を、そのいわゆる潤色とか作為とかをもふくめ、古代人の経験のあらわれとして読んで行きたい》と書いておられた。
kozaさんは、ブログ記事のおしまいに《大和や奈良、桜井のことを知ろうと思えば、古事記、日本書紀、万葉集の勉強は避けて通れない》と書かれている。仏教伝来前の日本人の「古層」が、記紀・万葉に現れている。今年が「古事記完成1300年」の年にあたるので、記紀に関する雑誌や単行本がたくさん出版され、目移りがするほどである。これから「日本書紀完成1300年」の2020年まで、じっくり学んでいきたいと思っている。
勉強会は全4回で終了する予定で、その第1回が1/11(水)の夜、奈良市内で開催れた。講師は、奈良県観光ボランティアガイド連絡会会長の木村三彦さんである。木村さんは30年以上前、月2回のペースでご近所のお仲間と記紀の輪読会を始められ、古事記は2年、日本書紀は7年かけて読了されたそうである。
テキストは岩波の日本古典文学大系『日本書紀』。あとは木村さんにプリントしていただいた系図、神武東征の地図、干支(かんし)順位表、神武天皇聖蹟調査報告の一部など。神武東征伝を選んだのは、記紀神話のなかでも大和に関わりが深いからであり、古事記ではなく日本書紀をベースにするのは、書紀のほうが断然記述が詳しいからである。
当日の内容については、一番前に座っておられたkozaさんが(桜井市在住)、ご自身のブログ「大和・桜井の歴史と社会。季節に合わせてゆっくり歩く」にすでに詳しく掲載されているので、紹介する。《「記紀神話のなかでも大和に縁の深い、神武東征の部分を、『日本書紀』に基づいて」学ぼうという企画である。学習会の資料もレジュメ的なものはなく、岩波の日本書紀の「神武東征」の読み下し分がコピーされて配られた。他には、瀬戸内海を中心にした東征地図、難波津を中心にした緒戦の地図とか、神統譜(しんとうふ)、干支(かんし)順位表などの資料のみである。学習は木村さんが、読み下し分をとうとうと読み上げながら、適時、解説する方法である》。
《この学習は期待通りのものである。数多くの解説本、現代語訳を読み、それで論じ、それを書いてきたが、やはりこれでは変だと思っていた。少し、公的なものを書く必要が生まれ、これではと考え、古事記の読み下し分を読んだ。十冊の解説本を読んでも判らないことが判った。「今度は日本書紀かな」と思っていたところの企画で、願っても無い学習会である。「古事記や日本書紀にほんとうの話が書いてあるのか」という声もあろう。紀元前600年の神武東征、邪馬台国よりも800年も前の話だから、そこに時間的な事実がないのは当然である》。

木村さんは、「客観的事実」と「信仰的事実」という言葉で説明された。神武天皇がいたか、いなかったか、という客観的事実が大切なのではない。そのような伝承があり、人々はそれを信じ、お墓(御陵)まで築いたという「信仰的事実」に思いを致したいのである。
勉強会では、戦前の文部省が選定した「神武天皇聖蹟地」(全19か所の東征ゆかりの地)のリストも配付された。奈良県下には7か所あり、それは以下のとおりである。
1.菟田穿邑(うだのうかちのむら) 宇陀市菟田野区宇賀志
2.菟田高倉山(うだのたかくらやま) 宇陀市大宇陀区守道高倉山頂
3.丹生川上(にふのかわかみ) 東吉野村(丹生川上神社中社 摂社丹生神社北側)
4.磐余邑(いわれのむら) 桜井市吉備(春日神社の北側)
5.鵄邑(とびのむら) 生駒市上町 出垣内バス停東南の丘
6.狭井河之上(さいがわのほとり) 桜井市茅原(狭井神社の北)
7.鳥見山中霊畤(とみやまなかのまつりのにわ) 桜井市(等弥神社の南側)
kozaさんのブログに戻る。《僕は思う。日本書紀や古事記を読むとき、僕らは720年の地平に立つべきだと。神武東征は奈良時代から考えても1300年前のことだ。神武東征と現代を直結させるのではなく、奈良時代の人がどう受け継いできたが、どう考えたかを読み取る必要がある。「神武東征」という神話が奈良時代になぜ必要だったかと考える。「東征に関わる神武ゆかりの地」が、その後の1300年でどのように扱われてきたかを考えるのも一つの歴史である》。
確かに、西郷信綱氏も『古事記の世界』(岩波新書)に《古事記を理解しようとするには、現代という椅子に腰をおろしたままふり返って眺めるのではなく、古事記の世界に実践的に入りこんで行き、古代人と親しく交わるようにしなければならない。(中略) 私は古事記を、そのいわゆる潤色とか作為とかをもふくめ、古代人の経験のあらわれとして読んで行きたい》と書いておられた。
kozaさんは、ブログ記事のおしまいに《大和や奈良、桜井のことを知ろうと思えば、古事記、日本書紀、万葉集の勉強は避けて通れない》と書かれている。仏教伝来前の日本人の「古層」が、記紀・万葉に現れている。今年が「古事記完成1300年」の年にあたるので、記紀に関する雑誌や単行本がたくさん出版され、目移りがするほどである。これから「日本書紀完成1300年」の2020年まで、じっくり学んでいきたいと思っている。