元旦(2012年)の奈良新聞(企画特集面)に、「第8回奈良県宗教者フォーラム」(11.5.28 吉野山で開催された公開講座)の報告が載っていた。まるごと2ページという大特集である。このフォーラムは、私もぜひ参加したいと思っていたが、果たせなかった。幸い今回、詳しく報じてくれたので、その勘どころをピックアップする。
フォーラムのテーマは「神と仏と日本のこころ 修験道を考える」であった。リード文は《修験道は、山岳信仰と仏教が習合し、さらに、道教、陰陽道などの要素も加わって確立された宗教である。8世紀に役小角(えんのおづぬ)が開いたとされているが、史実は不明である。いずれにしても山にこもって厳しい修行を行うことによって悟りの境地に達するものだが、自然と信仰が渾然一体となっているその姿は、日本独特の宗教といえるであろう》。
第1部基調講演「修験道入門」は、吉野山の金峯山寺執行長の田中利典(たなか・りてん)師。見出しは「自然への畏怖を喪失 祈りの心取り戻そう」。まず東日本大震災について《この未曾有の事態を目の前にして、「想定外」ということがしきりに言われました。しかし、これはおかしいと私は思います。日本ではこれまで何回も大地震や大津波を経験しています。また、自然は災いを与えると同時に恵みももたらしてきました。想定外という言葉は、自然への畏怖の喪失の結果です》。
《役行者(役小角)は、釈迦―観音―弥勒を祈り出し、さらに祈ると三体が一体となり、大峯山の岩を割って神の姿で出てきたと考えたのです。これを権現として祀(まつ)ったとされています》《東大寺の修二会(お水取り)では神名帳が読誦されますが、日本全国の神が勧請される中で金峯山寺の蔵王権現が第1位に挙げられます。ちなみに、金峯山寺の銅(かね)の鳥居は東大寺の大仏の余った資材を使ったと言われています》
《大峯奥駈修行ですと、午前4時から午後4時まで1日12時間、祈りを捧げながら山中を歩き、自然の中にあるものを拝みます》《修験道の修行の舞台となっている大峯奥駈の道は「紀伊半島の霊場と参詣道」として、今日ではユネスコの世界遺産に登録されています。吉野大峯、熊野、高野という古代の聖地を、修験道がつないでいるのです》。
修験道とは《簡単にいうと、山伏の宗教です。大自然の中に分け入り心身を鍛練し、聖なる力、超自然的な神の力を得るのが山伏であり、別に修験者とも呼ばれます。理屈ではなく、自分の五体を通して実際の感覚を体得するきわめて実践的な宗教でもあるのです》。
第2部はパネルディスカッション「歴史にみる修験」であった。このメンバーがすごい。パネラーは岩田長太郎氏(天理教総務部長)、狹川普文師(さがわ・ふもん 東大寺執事長)、田中利典師(金峯山寺執行長)、鈴鹿義胤氏(すずか・よしたね 高鴨神社宮司)、そしてコーディネーターは岡本彰夫氏(春日大社権宮司)であった。主な発言を拾うと、
鈴鹿氏《修験道の開祖は役小角であり、高賀茂氏の直系です。賀茂氏は葛城山麓に住んでいた有力な豪族で、開祖はこの賀茂氏の血統を引いています》。この鈴鹿義胤氏は、中臣氏の85世なのだそうだ。
狹川師《東大寺に縁のある人は、修験道と関係のある人が多いです。行基や理源大師、そして重源などもそうで、このような人々は山伏のネットワークを持っていました。大仏に塗られている金の発見と輸送、東大寺を再建する用材の物流にも山伏のネットワークが活用されました》。
田中師《修験道とは何かというと、第1に山の宗教です。山伏の宗教といってもいいでしょう。山伏は山の中、すなわち大自然を舞台にして修行します。第2に、宗派を超えた実践宗教です。実際に自分の体を使って実践的な修行をします。そして山伏として修行しておられる方は、天台宗、真言宗、禅宗、神道などあらゆる宗派の方が参加しています。第3に、神仏習合を基盤とする日本的な多神的宗教です。権現というのはこれを象徴しており、権現信仰の中に神と仏が融合した姿があり、いまなお日本人の心を守り続けています》。
岩田氏《修験道の山伏による寄加持の場が、天理教の神様が初めてお現れになる場面となったのです》。つまり1838年10月23日、中山家で寄加持を行った修験者が《「我は元の神、実の神である。この屋敷に因縁あり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みき(中山みき)を神のやしろに貰い受けたい」と啓示がありました。そして3日3晩の押し問答のうえ、26日の朝、「みきを差し上げます」と申し上げたのが、天理教の立教であります》ということなのだ。
最後を岡本氏が締めた。《高鴨神社、東大寺、金峯山寺、そして天理教と、奈良県の主要な宗教にはすべて修験道の行者がかかわっています。今日の私たちは、修験の影響を多く受けているということを再認識する必要があると思います》。
奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)の勉強では、「修験道には、当山派と本山派があって…」という煩わしい断片的知識の記憶しかなかった。《修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される。当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていった…》(Wikipedia)という具合である。これでは何も見えてこない。
今回、「修験道」という切り口から奈良県の宗教を見ると、こんなにいろんなことが見えてきた。自然を「克服すべきもの」と見る一神教と違い、自然と信仰が渾然一体となった修験道には、もっと目を向けなければならない。コーディネーターおよびパネラーの皆さん、良いお話を有難うございました!
フォーラムのテーマは「神と仏と日本のこころ 修験道を考える」であった。リード文は《修験道は、山岳信仰と仏教が習合し、さらに、道教、陰陽道などの要素も加わって確立された宗教である。8世紀に役小角(えんのおづぬ)が開いたとされているが、史実は不明である。いずれにしても山にこもって厳しい修行を行うことによって悟りの境地に達するものだが、自然と信仰が渾然一体となっているその姿は、日本独特の宗教といえるであろう》。
第1部基調講演「修験道入門」は、吉野山の金峯山寺執行長の田中利典(たなか・りてん)師。見出しは「自然への畏怖を喪失 祈りの心取り戻そう」。まず東日本大震災について《この未曾有の事態を目の前にして、「想定外」ということがしきりに言われました。しかし、これはおかしいと私は思います。日本ではこれまで何回も大地震や大津波を経験しています。また、自然は災いを与えると同時に恵みももたらしてきました。想定外という言葉は、自然への畏怖の喪失の結果です》。
《役行者(役小角)は、釈迦―観音―弥勒を祈り出し、さらに祈ると三体が一体となり、大峯山の岩を割って神の姿で出てきたと考えたのです。これを権現として祀(まつ)ったとされています》《東大寺の修二会(お水取り)では神名帳が読誦されますが、日本全国の神が勧請される中で金峯山寺の蔵王権現が第1位に挙げられます。ちなみに、金峯山寺の銅(かね)の鳥居は東大寺の大仏の余った資材を使ったと言われています》
《大峯奥駈修行ですと、午前4時から午後4時まで1日12時間、祈りを捧げながら山中を歩き、自然の中にあるものを拝みます》《修験道の修行の舞台となっている大峯奥駈の道は「紀伊半島の霊場と参詣道」として、今日ではユネスコの世界遺産に登録されています。吉野大峯、熊野、高野という古代の聖地を、修験道がつないでいるのです》。
修験道とは《簡単にいうと、山伏の宗教です。大自然の中に分け入り心身を鍛練し、聖なる力、超自然的な神の力を得るのが山伏であり、別に修験者とも呼ばれます。理屈ではなく、自分の五体を通して実際の感覚を体得するきわめて実践的な宗教でもあるのです》。
第2部はパネルディスカッション「歴史にみる修験」であった。このメンバーがすごい。パネラーは岩田長太郎氏(天理教総務部長)、狹川普文師(さがわ・ふもん 東大寺執事長)、田中利典師(金峯山寺執行長)、鈴鹿義胤氏(すずか・よしたね 高鴨神社宮司)、そしてコーディネーターは岡本彰夫氏(春日大社権宮司)であった。主な発言を拾うと、
鈴鹿氏《修験道の開祖は役小角であり、高賀茂氏の直系です。賀茂氏は葛城山麓に住んでいた有力な豪族で、開祖はこの賀茂氏の血統を引いています》。この鈴鹿義胤氏は、中臣氏の85世なのだそうだ。
狹川師《東大寺に縁のある人は、修験道と関係のある人が多いです。行基や理源大師、そして重源などもそうで、このような人々は山伏のネットワークを持っていました。大仏に塗られている金の発見と輸送、東大寺を再建する用材の物流にも山伏のネットワークが活用されました》。
田中師《修験道とは何かというと、第1に山の宗教です。山伏の宗教といってもいいでしょう。山伏は山の中、すなわち大自然を舞台にして修行します。第2に、宗派を超えた実践宗教です。実際に自分の体を使って実践的な修行をします。そして山伏として修行しておられる方は、天台宗、真言宗、禅宗、神道などあらゆる宗派の方が参加しています。第3に、神仏習合を基盤とする日本的な多神的宗教です。権現というのはこれを象徴しており、権現信仰の中に神と仏が融合した姿があり、いまなお日本人の心を守り続けています》。
岩田氏《修験道の山伏による寄加持の場が、天理教の神様が初めてお現れになる場面となったのです》。つまり1838年10月23日、中山家で寄加持を行った修験者が《「我は元の神、実の神である。この屋敷に因縁あり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みき(中山みき)を神のやしろに貰い受けたい」と啓示がありました。そして3日3晩の押し問答のうえ、26日の朝、「みきを差し上げます」と申し上げたのが、天理教の立教であります》ということなのだ。
最後を岡本氏が締めた。《高鴨神社、東大寺、金峯山寺、そして天理教と、奈良県の主要な宗教にはすべて修験道の行者がかかわっています。今日の私たちは、修験の影響を多く受けているということを再認識する必要があると思います》。
奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)の勉強では、「修験道には、当山派と本山派があって…」という煩わしい断片的知識の記憶しかなかった。《修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される。当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていった…》(Wikipedia)という具合である。これでは何も見えてこない。
今回、「修験道」という切り口から奈良県の宗教を見ると、こんなにいろんなことが見えてきた。自然を「克服すべきもの」と見る一神教と違い、自然と信仰が渾然一体となった修験道には、もっと目を向けなければならない。コーディネーターおよびパネラーの皆さん、良いお話を有難うございました!