NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先週(2020.12.17)掲載されたのは《「謎の大寺」の歴史継ぐ/川原寺跡 弘福寺(明日香村)》、執筆されたのは奈良まほろばソムリエの会会員で桜井市出身・在住の露木基勝さんだった。
露木さんは奈良県下のガイド名人を選ぶ「Nara観光コンシェルジュアワード」で最優秀賞を獲得するとともに、プロのガイドとして「飛鳥探検倶楽部」にも所属している。『奈良百寺巡礼』でも「川原寺跡 弘福寺(ぐふくじ)」を担当された。では記事全文を紹介する。
川原寺は、飛鳥寺、薬師寺、大官大寺(だいかんだいじ)とともに、飛鳥の四大寺に数えられる飛鳥時代を代表する大寺でした。しかし、創建の時期やいきさつが「日本書紀」などの古代の文献に記述されていません。さらに、他の大寺が平城遷都とともに平城京に移転していったのに、唯一、飛鳥にとどまり続けました。川原寺はその後、歴史の舞台から姿を消してしまい、「謎の大寺」と呼ばれています。
川原寺には東塔と中金堂・西金堂の二つの金堂を持つ、一塔二金堂式で堂塔が配置されていました。それは川原寺式と呼ばれ、寺跡は国史跡に指定されています。その中金堂の場所に建つのが、川原寺の法灯を引き継ぐ現在の弘福寺(ぐふくじ)です。
境内に足を踏み入れると、点在する白色の石が目に入ります。この石こそが、1400年の時を超えた川原寺の中金堂の礎石です。「瑪瑙(めのう)石」と呼ばれている珍しい大理石で作られ、28個が現存しています。
東西150㍍以上、南北330㍍という広大な遺構を散策すると、在りし日の川原寺の壮大さを肌で感じます。瑪瑙の礎石に手を触れて、飛鳥時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(奈良まほろばソムリエの会会員 露木基勝)
(宗 派)真言宗豊山派
(住 所)奈良県高市郡明日香村川原1109
(電 話)0744-54-2043
(交 通)飛鳥駅より赤かめバス「川原」下車、徒歩2分または橿原神宮前駅より赤かめバス「岡橋本」下車、徒歩10分
(拝 観)9~17時 300円
(駐車場)近くに有(有料)
露木さんは奈良県下のガイド名人を選ぶ「Nara観光コンシェルジュアワード」で最優秀賞を獲得するとともに、プロのガイドとして「飛鳥探検倶楽部」にも所属している。『奈良百寺巡礼』でも「川原寺跡 弘福寺(ぐふくじ)」を担当された。では記事全文を紹介する。
川原寺は、飛鳥寺、薬師寺、大官大寺(だいかんだいじ)とともに、飛鳥の四大寺に数えられる飛鳥時代を代表する大寺でした。しかし、創建の時期やいきさつが「日本書紀」などの古代の文献に記述されていません。さらに、他の大寺が平城遷都とともに平城京に移転していったのに、唯一、飛鳥にとどまり続けました。川原寺はその後、歴史の舞台から姿を消してしまい、「謎の大寺」と呼ばれています。
川原寺には東塔と中金堂・西金堂の二つの金堂を持つ、一塔二金堂式で堂塔が配置されていました。それは川原寺式と呼ばれ、寺跡は国史跡に指定されています。その中金堂の場所に建つのが、川原寺の法灯を引き継ぐ現在の弘福寺(ぐふくじ)です。
境内に足を踏み入れると、点在する白色の石が目に入ります。この石こそが、1400年の時を超えた川原寺の中金堂の礎石です。「瑪瑙(めのう)石」と呼ばれている珍しい大理石で作られ、28個が現存しています。
東西150㍍以上、南北330㍍という広大な遺構を散策すると、在りし日の川原寺の壮大さを肌で感じます。瑪瑙の礎石に手を触れて、飛鳥時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
(奈良まほろばソムリエの会会員 露木基勝)
(宗 派)真言宗豊山派
(住 所)奈良県高市郡明日香村川原1109
(電 話)0744-54-2043
(交 通)飛鳥駅より赤かめバス「川原」下車、徒歩2分または橿原神宮前駅より赤かめバス「岡橋本」下車、徒歩10分
(拝 観)9~17時 300円
(駐車場)近くに有(有料)
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