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空にいるような軽い気分で・・・

(続々) 男の病 その9 手術直後の身体に付けられた装具装置一式(その2)

2016年12月23日 01時00分00秒 | 健康ネタ

点滴の麻薬


ほとんど動けない状態でも気分は自由な地鶏・・自撮りしたらぼやけたが、ボカシも入れてみた


尿道カテーテルを腹にバンソーコー止めした部分は枝分かれしていて吸引することもできる・・見苦しい部分はボカシを入れたが6個穴を開けたウチの一つが黒いカサブタ


生食というのがぶら下がっていたこともあった気がする・・ナマ食ではなく、生理食塩水の略か


尿パック・・動いた方が良いということで垂れ流しを宣言するように廊下を毎日2回3回とぐるぐる回って歩いた

6 点滴2
 リンゲルに途中で合流する、特殊な形状のプラスチック菅。フェンタニル25ml、生食25mlとあった。点滴は麻酔薬も入れた針が左手の甲に刺さったままで、そこにチューブがつながっている。この大きな筒は何の支えもなかったから、ふとしたはずみでベッドの外に転がると、針先が刺激されて痛い。そこでそれが外されるまで、ずっと握りしめていた。内容は何かと看護師に聞いたら、痛み止めの麻薬ですとのこと。『どうだ、参ったか』という表情に見えて、私は黙って頷いて降参。
        
7 尿道カテーテル
 これを書いている本日は12月22日、術後6日目。外れるかどうかの判断が下される。ドレンが外れてから、日に二回シャワーを浴びている。カテーテルのチューブがヘソ斜め横にバンソーコーで止められているのだが、いきなりシャワー中に外れてブラーンとなったことがあった。抜けたらどうしようと瞬間的に思ったが、なぜかなんともなかった。病室に戻ってバンソーコーを換えてもらいながら聞いたら、膀胱内でバルーンになっていて抜けない仕組みだそうだ。本日午前中、つらいX線造影検査を終えて外された。このことは後日また書きたい。

8 T字帯
 いわゆる越中ふんどし。デザインものがいいと家人には伝えたのだけれど、病院内の売店で買ってきたのか、ただのひも付き白綿布。1枚は手術直後用に渡し、他に2枚用意した。ベッドから立ち上がるようになったら役に立たなかった。漏れ出したらまるっきり間に合わない。失禁パッドをふんどしなんかで押さえておけるものではない。こんな物を用意させるなんて、慣習でしかない。

9 手術衣
 麻色のシンプルな着衣を着せてもらって手術室から帰ったようだ。布というものが発明された当初の被り物の感じ。前が切れていて、患部を露出させるのに便利な機能一辺倒のもの。上下分かれたパジャマになる前に、今度は奇抜な柄の入った寝着になった(昨日のドレンの画像に写っている)。

10 フットポンプ
 これは画像を撮らないでしまったが、なかなかな優れもの。エコノミー症候群になるのを防ぐため両足にはめられて、マッサージが間欠的に行われる。看護師が言うには、『女性には評判良いですが、男性には不人気です』。私は眠りが浅くなることに対して不満を感じないし、勝手に程よい刺激がふくらはぎに与えられることが気持ちよかった。『女に近いのかしら』なんて、後で冗談を言ったくらいに・・。

12/21術後5日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ごはん225g(300から少なくしてもらった) 野菜と高野の煮物 ほうれん草味噌汁 オレンジ ジョア
昼;ごはん225g 鶏の塩麩焼 コールスローサラダ Pコールスロードレッシング
晩;ごはん225g(300から少なくしてもらった) 太刀魚きのこソテー 越前煮 オクラの和え物

12/22術後6日目の食事。 
朝;ごはん225g コンソメ煮 板麩の味噌汁 バナナ ジョア
昼;オニギリ100g 味付ノリ つけ麺7+③ツケ麺スープ 海老団子の煮付 ・野菜サラダ
晩;ごはん225g 甘鯛の甘酢あん ブロッコリーサラダ ヨーグルトソースかけ(マンゴー)
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2 コメント

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sukeboさんへ (とんび)
2016-12-24 09:42:47
>「自己治癒力」

以前に紹介しましたが、私の兄は自分の身体を健康に保つことが最大関心事で、そのためには金も努力も惜しみませんでした。
良い医師との巡り会いがなかったのか、信頼関係を作り上げることが苦手だったのかどうかは知りませんが、父と同じ病になって、父と同じ療法選択をしませんでした。
父は3年持てばいいほうだろうという医師の判断に対して、癌になっても5年生存できれば癌を克服したとみなされるという5年生存率もクリアして、その2倍の10年を病気治療開始後生き、関係のない脳出血で亡くなりました。
時代もくだってましたから、治療法も格段に進歩してるので、先端科学的治療を受けるかと思いきや、免疫療法だったか温熱療法だったかを続け、前立腺癌が肺に転移しました。自然治癒力を手助けする何かを加えればだいじょうぶという考え方だったようです。
そうして全身に転移して、でもでも10年生きましたからね!!
私にすれば、現代医学の最先端手術を選んでのことですから、自己治癒力は捨てたも同然です。
ご理解いただけないかもしれませんが、いくつかの分かれ道から1つだけを選択しなければならないことっていくらでもありますよね。
そうして、それなりに大きい決断をして踏み出してしまった人間に『なんで、そんな道を選んだか!』と問いかけちゃダメ!(問いかけてるつもりはなくても、そういうニュアンスが少しでも感じられたらイエローカードです)

『未完成交響楽』という映画で、勘違いからシューベルトではなくその友人に愛の告白を受けたと思ってキスをしてしまい・・・というシーンがありました。

>新春は近い、「ちばりよー」
sukeboさんの励ましは素直にありがたく頂戴します。
ありがとうございます。
返信する
Unknown (sukebo)
2016-12-23 20:46:19
昔の母たちは自宅で産婆さんの手助けで、出産した。
消毒は「煮沸消毒」以外どんな消毒液があったんでしょうか?


「ミクロの決死圏」・・・「自己治癒力」
が昔も今も頼まれます。

   痛み止めの麻薬ですとのこと。『どうだ、参ったか』

「参っちゃダメ!」
 「唯我独尊」てば。

新春は近い、「ちばりよー」
返信する

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