![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/18/725e8fd6cf0f386925431569d26fc1a9.jpg)
石碑のような道しるべの反対側にあったのが、にぎにぎしくも解りやすい道しるべ。左下に赤く見えているのは、初老の男があんパンとジャムパンを食べていたベンチ。
新島襄の洗礼名は『Joseph Hardy Neesima』のようだ。NiijimaではなくNeesimaであるところがミソ。
ジーニアス英和辞典を引いたら用例が出ていた。
Mrs. Ann Smith, nee Brown ⇒ アン=スミス夫人,旧姓ブラウン
ジョ―ゼフ=ハーディ,旧姓シマ ということなんだろうか? 旧姓を表す nee に 新(にい) を掛けて ネイシマ とは、なかなかに凝っている。Gravesiteは墓地。
哲学の道だけが『Tetsugaku no michi』という、そのまんまなのが面白い。英訳するにしても、『哲学の道』は哲学的な道なのか、哲学をする道なのかで違う訳になるだろうし・・・これでいっか・・となったのだろうと、哲学的想いが湧くのである。
Tetsugaku-no-michi (Philosopher's Walk)だそうですね。
RoadがWalkか・・・・
学生時代に親しい友人と歩きながら、「若きヴェルテルもこのように悩んだだろうな?」と言ったら、久保田と村山が
笑ってくれた時は、噺家が客の心をつかむとはそういうことなんだろうなと心が高揚した思いを昨日のように思い出せます。小学生の時クリスマスが近づくと教会の周りをうろついてプレゼントを期待しながら、神父さんが歩きながら本を読んでいたことも、「Walk]なんですね・・・・
調べてくれたんですね!?
ありがとうございます。
walkを調べてみると、確かに歩道とか散歩道とか遊歩道とかがありました。
哲学者の散歩道なんですね!
『哲学の未知』なんてことを思うのは、門外漢だからでありましょうね。
ヴェルテルの悩みも遠くなりにけり