エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

お金儲けの世の中 おかしい

2006-06-15 | 日々の生活
  静かに傍観する経済優先の社会で、誰も彼も、株だファンドだとお金を膨らます世の中を演じているように見える。何かせわしく、人々が流されているような気がしてならない。どこかおかしい世の中と思う。
 ライブドア、村上ファンド、ゼロ金利政策の陰でファンドへ多額の投資をしていた日銀総裁。村上容疑者は記者会見で、「お金儲けが悪いことですか」と開き直る。数万でなく、数百、数千億円という想像をはるかに超えるお金を求める現実がある。お金儲けに取り憑かれたかわいそうな人と思った。いづれも一般庶民には考えられない額を投資し練金を計り、道義的な責任も認めず金銭感覚も次元が違う。
 自分はお金の負け犬と思うが、うらやましくもない。生かされている自分を思うとき、もっと控えめに知足のこころで生きて生きたいと思っているからだ。そんなこころの良寛に惹かれ満足している。
 いま、もう一度かつてのベストセラー「清貧の思想」(中野孝次著)を惹起しなければならない。その先人の思想に触れながら、人間らしい生き方とは何かを静かに考えたいと思う。「国家の品格」以上に感化された、尊敬する本だった。
 『 「欲はなく決して怒らず」そういう人に 私はなりたい! 』と思い、そう努力したい。

咲き始めた花しょうぶ

2006-06-15 | 日々の生活
《咲き始めた花しょうぶ》

全国各地でアヤメ祭り、花しょうぶ祭りが始まった。
 昨日、買い物に出かけたついでに、今日から始まる「花しょうぶ祭り」に先駆けて、塩川町(現:喜多方市)の咲き具合を見てきた。ブルーの花しょうぶが咲き始めていて、株の廻りでは明日からの祭りに備えての除草作業が行われていた。
 会津若松近郊では塩川の御殿場公園の花しょうぶ祭りがこじんまりしていていい。御殿場公園は、昔、会津藩指定の鷹狩り場だったところで、現在3万6千株の町花「花しょうぶ」が咲き誇っている。また同じ時期に会津高田町の伊佐須美神社(現:会津美里町)の「アヤメ祭り」がにぎやかで参拝をかねて毎年観ている。
 アヤメ祭りと言えば、山形の長井市、新潟県阿賀野市の瓢湖、信州明科町 (現安曇野市)などへ行ったことがある。新婚の頃歩いた、明治神宮御苑の菖蒲田の小雨に煙る風情がいまも懐かしく思い出される。
いずれも年に1度、咲き誇る美しさにふれ、花を讃える初夏が来た。
何度聞いてもショウブ、アヤメ、カキツバタ、イチハツとアヤメの仲間は区別が分かりにくい。別にどっちでも構わないが営々と種が保存されていくことが不思議だ。
 これらはいずれも梅雨時の花なので雨に濡れた姿が一番なのかも知れない。

美味しい 旬の地ダケ

2006-06-14 | 食文化
 《孫も手伝いながら ジダケの皮を剥く》

 今年も地ダケ(ジダケ)が届いた。会津ではネマガリダケ、チシマザサのことをジダケと呼ぶ。
何年か前までは5月末になると、会津布引山へよくジダケ取りに行った。磐梯吾妻スカイラインの高湯あたりに行ったこともある。時期になると米沢までのスカイバレーは何台もの車が止まっている。背丈以上のササの地下茎が横に這って繁殖する。ジダケ取りに夢中になって自分の位置が分からなくなってしまうので、ラジオを木に掛けておいたり、テープで印を付けしたりして迷子にならないようにした。もう、いま深いヤマへは行けない身体になってしまったが、この時期どこかしらからジダケが届く。有難いと思う。
 ジダケは、アクが少なくフライパンで焼いてすぐに皮を剥きながら食べる。香ばしく美味しい。わが家では身欠きニシンと白味噌で煮物にすることが多い。
 山菜図鑑によると、ビタミンB1・B2・Cを初め、カリウム、カルシウム、鉄分、マグネシウム、亜鉛、銅などのミネラルが豊富とある。
 この辺では沢山取ってきて、業者に缶詰加工を頼む人もいるが、旬に食べるジダケが一番美味しい。今夜は炊き込みご飯と味噌汁にして旬の味をいただきたい。歯触りが何とも言えず美味しい。

     《ジダケと身欠きニシンの味噌煮》 

田の畦に生きるいのち

2006-06-13 | 日々の生活

 田に水が入り、早苗の時期までは、田の水面に映る空や雲、山々や向こう側の建物の眺めがさわやかですがすがしい。
 早朝の散歩道、田の畦に生きるいのちのうつくしさに励まされている。小川のせせらぎに足を止める。道ばたの緑の移りゆく花々に立ち止まる。スイバの赤い実がほのかに赤く爽やかだ。黄色いニガナやキツネノボタン、ノゲシ、ジシバリの黄、白いヒメジョオン、シロツメクサなど、他にカラスノエンドウ、ギシギシ、オオバコ、ミチヤナギ、カモジグサ・・・それぞれが大自然の水、光、空気の恵みを受け、たくましく生き生きしている。
 田の水面にはミズスマシが群れてスイスイ泳いでいる。静かな緑に囲まれ、小鳥のさえずり、カエルの声が聞こえる。風が心地よく早苗を揺らす爽やかな朝の始まりに、毎日の安らぎを覚えている。
 平凡な日々に、いつも焦るなと言い聞かせながら、小さな自然を見つめながら穏やかな毎日を過ごしている。

初夏の風にゆれる 可憐なヒメサユリ

2006-06-12 | 旅行


 天気予報は曇りだったが、午後からは梅雨明けを思わせる初夏の日差しが照りつけた。
午後2時を廻っていたが、思い立って(いつものこと)見頃を迎えたと思われる熱塩加納のヒメサユリを観に出かけた。今回も娘と孫2人と妻と5人連れだ。
 ヒメサユリの群生地は奥会津南郷村が有名だが、熱塩加納(現在は喜多方市に合併)の群生地、ひめさゆりの丘もすばらしかった。
  ヒメサユリは山形・福島・新潟県の県境周辺にのみ自生するユリで、南会津では浅草岳、会津朝日岳にしか分布しない貴重な植物。熱塩加納村では乱獲され絶滅寸前だったが、保護増殖に努め、群落をなすまでになったと言う。保護増殖地に群生する「ヒメサユり」は、種子から自然に増殖したもので、花を着けるまで5・6年もかかるそうだ。
 ほかのユリより早く咲き、花の色は淡ピンクから濃ピンクまであり可憐で美しい。
 散策中に白花のヒメサユリを1株見つけた。いま、丁度満開だった。花に近づくと芳香があり、コアオハナムグリが蜜に群れていた。2、3輪咲きが多かったが、中には7,8輪花を付けているものもあった。また、群生地には朱色のヤマツツジも今が盛りできれいだった。
 山一面にうす紅色の花が、初夏の風にゆれて咲く光景はすばらしかった。
また来年6月に訪ねたい。

丘の入り口には歌碑があった。
  「ひめさゆり物語      
      美しい乙女は恋に落ち
      彼の帰りを待ちわびながら 
      いつしか深い眠りにつき 
      やがて一輪の草花となった
      さわやかな風に揺られながら
      優しく可憐に咲き匂う
      ひめさゆりは
      乙女の面影そのものである   

帰路、喜多方・蔵の湯の温泉に浸かった。空いていて、女風呂から孫たちの歓声がこだましていた。

   《ヒメサユリの丘》

緑雨の景観  (山種美術館)

2006-06-11 | 文芸
       《山口蓬春(1893~1971)の「梅雨晴」》

(2006.6.7)
 東京メトロの「九段下」で下車、地上に上ると目の前にお堀が、靖国神社を右手に見て九段坂を左へ、千鳥ヶ淵の緑道を歩いた。
 数時間前に通り雨があったようだ。そのあとの晴れわたった初夏の木漏れ日がさわやかに、美しかった。桜の季節はさぞにぎわったであろう、桜の大木が左右に落ち着いた静かな並木道だった。
 都会の喧噪が遠くに聞こえる静けさに、堀の対岸の北の丸公園から、誰かが練習しているのだろうかトランペットの音が聞こえてきた。
 梅雨の季節に、雨上がりの澄んださわやかな散歩道を数百メートル、緑のトンネルを抜け、山種美術館を目指した。

 山種美術館では、いま【 緑雨の景観 -美しい日本の自然- 】が開催されていて、今回はそのテーマに惹かれての訪問だった。
 千鳥ヶ淵の緑道のアジサイはまだつぼみに色はなかったが、一足早く見事なアジサイ、山口蓬春の「梅雨晴」を鑑賞できた。他に、東山魁夷の「緑潤う」や奥田元宗の奥只見の山々を描いた「山潤雨趣」、宇田荻邨の「五月雨」などを観て堪能した。
春に風俗画*に興味を持ち、その後、日本画、特に近代日本画に魅力を感じていた。展示された作品はいずれもテーマのように、緑に映える、雨に煙る、あるいは雨上がりのすばらしい美しい日本を描いたもので、他に奥村土牛、川合玉堂、菱川春早などの傑作を鑑賞することができた。

 美術館を出て、隣の千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ立ち寄った。
戦没者墓苑は、先の大戦での無名戦没者の墓で、昭和34年に創立された国立墓苑で、名前も分からない35万人もの戦没者がここに眠っている。
 献花用に用意された黄色や白い菊の花を供え、いまの平和の礎になられた、先の戦争に散った多くの戦没者の御霊にこころからのお礼を述べ、冥福を祈った。そして、あらためて戦争のむなしさ、悲惨さを思い、平和の尊さをかみしめた。

《松尾敏男(1926~)彩苑》


*拙ブログ 3/12 「風俗画を鑑賞」

映画 「明日の記憶」

2006-06-10 | 日々の生活
 大学病院の診察を受けに上京した帰りに、高速バスの出発まで時間があったので、久しぶりに映画を見た。 (2006.6.8)
 
タイトルは「明日の記憶」【 堤 幸彦監督 渡辺謙、樋口可南子主演 (荻原 浩 原作) 】
 突然にアルツハイマー病に冒された主人公と、夫を励まし続ける妻の感動の物語だ。
 病は徐々に進行していく。ついには妻さえ誰か分からなくなてしまう。病を通して日々の生活が流れ、二人の辛いこころの動きに涙があふれた。そして、過去は失われても、二人で記憶を作っていく明日を思い描きながら映画は終わった。

 65才以上の高齢者の13人に1人が認知症。その半数がアルツハイマー病と言われている。この映画を見て、上辺しか知らなかったアルツハイマー病の恐ろしさ、そして誰しもが罹るかも知れない病であることを知った。

 映画を見ながら、自分の闘病中のこと、献身的に看護してくれた妻の気持ちが重なり切なかった。あらためて生きること意義を考えさせられ、自分が温かい周囲に囲まれ生かされていることを思い、家族、一人一人とのふれあいをもう一度考えた。明日のことは分からないが、どんなことがあっても positive thinking!でなければならないと思った。
 

緑はいつも心の安らぎ  

2006-06-09 | 日々の生活
        
    《梅雨に濡れる梅花ウツギ》

 今日、気象庁から、東北南部の突然の梅雨入り発表があった。
今朝雷と、激しい雨があった。その後しとしと降る雨に梅雨の季節を実感している。

〈以下は数日前の原稿〉
 黄緑の新緑もいつしか濃い緑に変わり、見上げるとクマシデの房状の実が風にカサカサと揺れている。それにしても緑色は何と目にやさしく、こころにやさしいのだろうか。
 開け放った窓からは緑の風が静かに渡る。ロッキングチェアに揺れぼんやりと緑を眺めながら陶酔の時の流れに身を任せた。
 毎日緑に囲まれ、自分を見つめ、自然を楽しむ豊かさを思っている。
 梅花ウツギがほころび、アジサイのつぼみが日に日に膨らんできた。
じきに入梅を迎える。しとしと降る雨にアジサイが似合い、濡れてすがすがしく輝く高田梅を思った。緑は梅雨にさらに生き生きし、こころ癒される。

 人間にとって緑とは何であろうか。私には身近な植物が心の安らぎであり、いつも共にありたいと思っている。
部屋の天井にはオリズルランやブライダルベルを吊し、座右には一輪挿しに季節の緑を添える。いわゆるグリーンアメニティだ。
 
《緑の中のわが家の庭》

良寛を歩く  (その5)

2006-06-09 | 文芸
【以前に、良寛ゆかりの地を訪ねた感懐を、エッセイ(『良寛を歩く(その3)~(その5)』にまとめる。】


 《良寛と愛弟子貞心尼》

良寛晩年の里を訪ねる」 (2004.7)

 五月の連休に、あの五合庵、乙子神社草庵から移り住み、「良寛遷化の地」となった晩年の良寛の里、和島村を訪ねた。
 良寛と愛弟子貞心尼が巡り会った里にある「良寛の里美術館」で二人の書や詩歌を鑑賞した。館内でビデオ「良寛を知るために」を視聴し、あらためて今の時代にこそ、誰もが良寛の生き様を考えなければと思った。良寛も目にしたであろう周囲のなだらかな丘陵が、やわらかな萌葱色に爽やかだった。
近くの隆泉寺に良寛の墓を訪ね手を合わせた。誰も訪ねる人もない静まりかえる境内には白いフジが香りに誘われクマバチが羽音を響かせていた。本堂の左には、薄紫にほころぶツツジを背に、か細い托鉢する良寛のブロンズ立像が建っていた。その姿に良寛の優しさ、心の温かさと共に精神のつよさを思った。
 これからも良寛縁の土地を訪ね、師に多くを学びたい。そしてその都度自己を振り返り豊かさとは何かを考えたいと思っている。    
《隆泉寺・良寛像》


参) 拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】     

夏を迎える雄国沼

2006-06-06 | 旅行
      《夏を迎える雄国沼》

 天気予報では、そろそろ梅雨入りがあるという。穏やかに晴れた昨日の朝、思いついて何年かぶりに雄国沼へ出かけた。
 金沢峠から雄国沼の木道までの下りの山道は、歩きやすく木のチップが敷き詰められた階段が整備されていて、小さな孫たちも楽に登り下りすることができた。

 いつもは梅雨の晴れ間にニッコウキスゲを楽しみに行くが、案の定、まだ時期が早く、ようやくつぼみをもたげ始めたところだった。沼の周囲のタニウツギやレンゲツツジもまだつぼみ、咲き誇ったヤマザクラが正に散り始めたところだった。
 でも、日差しはもう夏を思わせ、湿原には、淡紫色のタテヤマリンドウや白いミツバオウレンが群れをなして咲いていた。また、オレンジっぽい色のショウジョウバカマや、ワタスゲがかすかに風に揺れ、沼へ注ぐ浅い川の流れにリュウキンカが鮮やかに美しく咲いていた。
 今日は麓から峠にかけて、ウスバシロチョウ、カラスアゲハ、コツバメ、ヤマキマダラヒカゲ、ミドリヒョウモンなどに出逢った。また、レンゲツツジの花に蜜を吸うスキバホウジャクをじっくり観察しながら写真に納めた。いつも虫たちとの新しい出会いが楽しい。

 沼の対岸の猫魔岳に連なる山々の、淡い若葉の色合が特に美しく、ホトトギスの繰り返す鳴き声、カエルの声が響く湖畔での静寂のなかで、娘と2人の孫と妻と私、木道でおにぎりを頬張り、満ち足りたひとときを過ごすことができた。
幼い孫二人は、木道を大人の手を振り切って一歩一歩元気に進み、大自然の中で、生き生きした時を過ごした。


 今度は梅雨明け頃、コバイケイソウやニッコウキスゲを見に行きたいと思っている。

《清楚なタテヤマリンドウ》

《鮮やかなリュウキンカ》


《ニッコウキスゲのつぼみに止まるヒゲナガカワトビケラの仲間》

環境月間に思う

2006-06-05 | 環境問題
 6月は環境月間、6月5日は環境の日だ。

 環境問題がクローズアップされた二十世紀後半だったが、今私たちはどれだけ美しい自然を楽しみ、さらには踏み込んで自然との関わりを持っているだろうか。
 思えば小さい頃から蝶を追いかけ、いつも身近な自然の中にあった自分だが、社会に出てからは年に1、2度の山登りを楽しむ程度になってしまった。庭の自然でも不満はないが、深まり行く木々の緑を眺めながらより大きな自然抱かれたいと思う。
 温帯林に恵まれた日本の素晴らしい自然、それぞれに美しいふるさとの四季をあらためて思う。そして、周囲にいつもあるこの自然を、当たり前ではなく大いなる恵みであることを再認識したい。
 恵まれた豊かな自然の中であれば、自然への畏敬の念や環境保全の思想が生まれるに違いない。こうした私の自然観や自然への思いが、自然に親しんだ少年期に培われたことを改めてありがたく感じている。
スケッチ《沼の倉より磐梯を望む》

良寛を歩く  (その4)

2006-06-04 | 文芸
【以前に、良寛ゆかりの地を訪ねた感懐を、エッセイ(『良寛を歩く(その3)~(その5)』にまとめる。】

     「もう一度良寛を学びたい」 (2004.1)
 
 暮れから正月は改まって心の整理を余儀なくされる時期である。書斎に座して静かに過ぎ去りし一年を振り返り、新しい年への期待と決意をまとめるすがすがしさがある。
 風雪の国上山に五合庵を訪ねたのはもう四、五年前 になるか*。新たな心の整理をするときいつも良寛が浮かび、あのときの感動がよみがえってくる。
 飽食、拝金、有り余るものに囲まれたこの平和と繁栄の中で、偽りの文化的生活に浸る自分をいつも反省せざるを得ない。真の幸せを考え、人間らしい生活を求めなければ恥ずかしいと思う。
 昨年思いがけない大病をして死の淵から生還し療養生活を送る今、新しい人生の始まりを意識している。年の初めに当たり、自分の生き方を見つめるためも、もう一度良寛を学びたいと考えている。
 良寛を見つめ普段の贅沢に疑問を抱き、清貧を旨として無一物に徹した良寛の強さを思い過ごしたいと思っている。          

《座右の銘とする》

*
拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】



感動のチョウの産卵

2006-06-03 | 自然観察

 
 
 可憐な春一番の紫の花が、次から次へと咲いている。
 本当の名は知らないがドライフラワーにすると、小判がたわわに実り、まさに黄金の輝くカネノナルキだ。かなり大きく成長した小判に、一頭のスジグロシロチョウがさかんに産卵している。紡錘形の高さ1ミリほどの淡い黄色い卵がいくつも見つかる。注意してみると、もうすでに孵化した幼虫が穴のあいた葉先に休んでいるではないか。この美しい花の上で、一つの小さな生命が成長しチョウになる不思議を思った。 
 小判は、朝の陽光に薄く透け、成長し始めた種がおたまじゃくしのように見える。まるで音符が踊っているようだ。繰り返し産卵するいとおしいチョウの動きを感動の目で追った。そしてクローズアップレンズで決定的瞬間をねらった。
 いま一年中でもっとも美しい庭に、いつものようにフワフワとウスバシロチョウが舞い下りてきた。春から夏へ季節が移ろう。

良寛を歩く (その3)

2006-06-02 | 文芸
【以前に、良寛ゆかりの地を訪ねた感懐を、エッセイ(『良寛を歩く(その3)~(その5)』にまとめる。】


良寛の草庵に 人生の真を見た」 (2000.2 )

 あえて厳寒の雪の中、越後国上寺を訪ねた。
豊かな物質文明に便利さを謳歌する自分を反省し、どうしても良寛の生き方、思いを辿りたい心境があった。
 大寒の山は大荒れであった。日本海の荒れ狂う寒風に、山全体が唸りを上げていた。寒さに震えながら、当時良寛が幾度も巡ったであろう雪の山道を五合庵に向かった。雪に覆われた茅葺きの庵に立つと、これまでの風が嘘のような静けさが訪れた。
 「生涯身を立つるに懶く」の詩で良寛は、「嚢中三升の米、炉辺一束の薪」で暮らしは十分、また「夜雨草庵の裏に双脚を等間に伸ばし」これ以上の満足はないと言う。この良寛の生の意識、心情を繰り返し確認した。
 良寛が一人の乞食として己と対峙し、己の心を見つめながら生活した草庵を訪ねて、いま自分は精神の乞食でありたいと思った。
 この旅で、あらためて心の豊かさ、人生の真を見た思いがした。

参)拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】     
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】

自然の中での落ち着いた生活  

2006-06-01 | エッセイ
 今日から6月、庭の新緑がまぶしく、クマシデの実が逆光に透けて美しい。
ふと、一匹の白いチョウが緑の中をふわふわと横切った。
 あのたおやかな飛翔は、かつて少年の日に、その生態に興味を抱いたウスバシロチョウだ。氷河時代の化石とも言われるチョウだが、五月の葉のそよぎに、営々と続いた進化のあとを実感し、今年の再会を喜んだ。昨今の自然環境のダメージを思うと、周囲の山で羽化し、市街地への冒険旅行をするウスバシロチョウがたくましく思えた。
 物質文明は環境ばかりではなく、人の心や生活のスタイルをもかなりの勢いで変えているように思う。でも、あえて流れを追いたくはないし、流されたくないと思っている。
 庭のミヤコワスレを手折りコップにさした。可憐な花びらは紫の縞模様がさわやかだ。生きもの美しさにはいつも胸を打たれるが、チョウを目で追いながら、自然の中での落ち着いた生活を思った。