「カラス、なぜなくの」という幼い子の問いかけに対して「カラスは山に かわいい七ッの子があるからよ」という答えはいいな、と思います。なんだかほのぼのとした気持ちになりますよね。「カラスの勝手でしょ」では会話になりません。
ブログが大流行りだそうですが「人はなぜ書くの」という問いにはどう答えますか? 小川洋子さんは『アンネ・フランクの記憶』の中で「すぐに私はアンネの真似をして日記をつけ始めた。わけもなくただひたすらに書きたいという欲求が、自分の中にも隠れていることを発見した。あの時わたしは、生きるための唯一、最良の手段を手に入れたのだと思う。」と書いています。
同書で小川さんはアンネが「わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、心の底に埋もれているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。」と日記に書いていることを紹介しています。
『ブログ進化論』で著者の岡部敬史さんは「人は誰かに自分の感情や考えを発信することを拠り所にして生きていくものだ。」と書いています。
ところで松本清張の『球形の荒野』文春文庫 のラストで野口雨情の「七ッの子」が実に効果的に使われています。 老紳士と若い娘さんが海岸でこの歌を歌います。この二人、実は父娘。お互いにそのことに気づきながら口外することもなく一緒に歌うのです。
ラストシーンの引用。
**野上顕一郎は自分でも低声(こごえ)で歌いながら、全身に娘の声を吸い取っていた。 カラス、なぜなくのカラスは山にかわいい七ッの子があるからよ・・・・・・・・・・ 合唱は波の音を消した。声が海の上を渡り、海の中に沈んだ。わけのわからない感動が、久美子の胸に急に溢れてきた。気づいてみると、これは自分が幼稚園のころに習い、母と一緒に声を合わせて、亡父に聞かせた歌だった。**
本題の「人はなぜ書くの」この問いにあなたはどう答えますか?