幸田文はエッセイ集『木』新潮文庫の中でこう書いている。
**私は花の、葉の、はじまりというか生まれというかが好きだ。だから新緑になってしまうと、なんだか一段落したような、気を抜いた眺め方になる。むろん美しさにはみとれるのだが、芽吹きでは見守る目が、新緑では見やる目になって、そこにいささかの気持ちの隔りがある。**
冷静な分析だ。 幸田文が草木に心をよせるようになったのは幼い頃の父親、露伴の教えによるところが大きいと、このエッセイ集の別のところに書いている。
木々の芽吹きの季節になった。落葉松の芽吹きがとりわけ美しい。この緑色をどう表現したらよいのだろう・・・。浅緑、若緑 淡緑・・・。 文庫本の背表紙にも緑色が使われている。落葉松の芽吹きに近い色は・・・。 星新一(新潮文庫)の色は黄色が強くて明かに違う。重松清(新潮文庫)の色は鮮やか過ぎる。帚木蓬生(ははきぎほうせい 難しい名前だ)の新潮文庫も違う。
手元の新潮文庫にはどうやら無い。 講談社文庫の帚木蓬生の背表紙の色が近い! この時期、落葉松は阿川弘之(新潮文庫)の色から帚木蓬生の色に変わっていく・・・。 因みに幸田文の背表紙は白。