透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

穂高神社の狛犬

2015-06-07 | C 狛犬

 穂高神社の2対の狛犬のうち、大きい方の狛犬を観る。  





胸板が厚く、逞しい狛犬 阿形の狛犬だから本来は獅子。全体のバランスが良い。耳が寝ている。






鍛え上げた体は筋肉モリモリ。 角がある!耳が立っている。



真横から見ると分かりやすいが阿形より胸板が厚く見え、不自然な印象。



原型が小川大系で石匠が野村保泉。 小川大系は安曇野に在住していたようだ。保泉は真々部諏訪神社でも目にした名前。 

皇紀2600年(昭和15年、1940年)の作  この節目の年を祝って奉納された狛犬がかなりいるのでは。翌年には戦争に突入するのだけれど・・・。


 


穂高神社 若宮社の狛犬

2015-06-07 | C 狛犬



 有明山神社から穂高神社へ移動した。この神社には大小2対の狛犬が棲息しているが、若宮社の小さい方の狛犬から。



御祭神は阿曇比羅夫命。白村江の戦いって日本史の教科書に出てきたなぁ。

北九州を拠点にしていた海人族の阿曇族との関係だとか、古代史にはロマンを感じる。





見るからに古そうな狛犬だ。左の吽形の狛犬はだいぶ摩耗している。凹んだ目は団子の表面を指で押したかのよう。前肢は阿形の狛犬(獅子)より筋肉もりもり、太い。



腕輪をしているの?と訊きたい・・・。 前肢の間をくり抜かないで「力板」のように残してある。これは輸送の際に肢が折れてしまわないような配慮だろう。



 

頭のてっぺんにディンプルな加工を施してある。吽形の狛犬にはもともと角があったはずなのに、いつ頃から角の無い狛犬に変わったのだろう。鬣は左右で違っていて、阿形は先がカールしていて、吽形はストレート。左右で違いをはっきり表現している。

こんなヘアスタイルのサッカー選手がどこかの国にいたような気がするなぁ。体はすっきり、つるりんちょ。

向かって左側の台座の正面に建立年が彫ってある。昭和?いや、そんなはずはない・・・。干支が違う。昭和六年は辛未(かのとひつじ)年だ。明和六年は己丑(つちのとうし)で合っている。明和六年は西暦で1769年。この狛犬は江戸中期の生まれ。阿形の足座の文字も泥汚れをきれいに落とせば読めるかもしれない。

こんなかわいい狛犬は狛女に愛されるに違いない。


 


有明山神社の狛犬

2015-06-07 | C 狛犬



■ 安曇野市穂高有明にある有明山神社(里宮)。鳥居から裕明門、さらに拝殿に向かってなだらかに上る参道が真っすぐ伸びている。



奥宮は有明山山頂に鎮座している。 御祭神は天岩戸神話のキャスト、でも大巳貴命は違うか・・・。







日光東照宮の陽明門を模したと言われる裕明門。案内文にこの門は明治35年(1902年)の建築で彫刻は立川流清水虎吉の作品とある。 調べて山辺(現松本市山辺)出身の彫刻家だと分かった。



裕明門の手前、右側にある手水舎 案内文に飛騨の匠山口権之正の作とある。



手水舎の右側の木鼻の獅子 阿形と吽形とで鬣(たてがみ)の巻き方が微妙に違う。前足の爪がきちんと表現してある。狛犬もこの爪の表現に注目すべきだ。目つきが鋭い。



拝殿を望む。



社務所



社務所玄関の懸魚の龍 姿形が整っていて美しい。

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里の神社とは違う独特の雰囲気が漂っている。さて、この聖域を守護する狛犬観察。

 

裕明門の手前の狛犬はブロンズ造。御影石の台柱(350角、高さ約1750)に彫り込まれた文字により、明治37、8年の日露戦争の戦捷記念として明治44年10月に奉献されたことを知る。東郷平八郎の書が使われている。





足の爪に注目 細部まで表現してある。




次は裕明門の先にいる狛犬 なかなかガードが固い神社だ。

  



体に後から貼り付けたかのような鬣



玉子を嵌め込んだような目。頭でっかちなプロポーション。足の爪はきちんと表現してある。





後ろ姿 「緑化狛犬」

明治23年9月15日 石工 松本町 伊藤幸太郎

平成21年9月吉日  移築工事


この神社は今はやりのパワースポットなんだとか。