『信濃安曇族のルーツを求めて』坂本 博/近代文藝社
■ **志賀島出土の金印を手がかりに、信濃安曇族のルーツ(出自)とそのルーツ(渡来の経路と交易の航路)を探る** こんな帯を読んだら中身が気になる。
**安曇族は朝鮮から南下して対馬に到り、そこにしばらく定着していたと考えられる。(中略) しかし、彼らはやがてこの島を離れ、博多湾へ彼らの母港を移した。(中略) 彼らの一部は、後年「邪馬台国東遷」の波に乗って、畿内に移動した。(中略) その後かなり経って、「磐井の乱」の後、安曇族の残りは、すべてが信濃へ逃亡した。**(66、7頁)
対馬にも有明山があることをこの本で初めて知った。 **筑前安曇族が信濃西北部の高い山の麓に本拠を構えることになったとき、その山を見上げながら、さっそくそれを「有明山」と名づけたのではないだろうか。**(62頁)
そうか、対馬にも安曇野にも有明山があるのはこんな事情があったからなのか・・・。
**金印が出土した志賀島には (中略) 綿津見三神(底津綿津見、中津綿津見、表津(うわつ)綿津見)を祭神とする志賀海神社がある。
そして、信濃安曇族が定住した信濃国安曇郡には底津綿津見を祭神とする川会神社がある。**(64頁)
調べてみるて、川会神社は北安曇郡池田町にあることが分かった。訪ねてみたい・・・。北九州に志賀島も訪ねてみたい・・・。
狛犬巡りから古代史の世界へ、か・・・。