透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

辰野町の火の見櫓

2022-07-27 | A 火の見櫓っておもしろい


1376 上伊那郡辰野町辰野 4脚44型 撮影日2022.07.27


 県道187号に平行して一段高いところにガードレールが設置された生活道路が通っている(写真②)。その生活道路沿いに火の見櫓が立っていることに気が付いた。

いち早く火の見櫓に駆けつけることができること、遠くまで見通せること、という火の見櫓の基本的なふたつの条件は相反することが多い。この火の見櫓は後者の条件を優先したものと思われる。

県道から生活道路まで歩いて上っていくと、写真③のような様子だった。見張り台からはかなり遠くまで見通せるだろうし、半鐘の音も遠くまで届くだろう。私とは違い、消防団員は地元の地理に詳しいだろうから、この生活道路まで車で上ってくるだろう。そうであれば県道沿いに火の見櫓が立っている場合とそれ程到着時間に差は出ないかもしれない。 




③とは反対の方向から見た様子


梯子には手すりが設置されている。踊り場から上の梯子に手すりが設置してある事例は多くはないと思う。


踊り場の半鐘、写っている縦帯に文字はない。


踊り場の様子 踊り場の床面積が少ないようにも思うが、梯子の架け方などを見ると、ここを昇り降りする消防団員に配慮していることが窺える。踊り場の手すりは外側にはらんでいる。なぜ? 少しでも面積的に広げようという意図か。他に理由が浮かばない。


脚部の下側半分は単材で見た目は心もとない。


 


既に時遅し

2022-07-27 | A 火の見櫓っておもしろい


松本市寿小赤  県道287号沿い(*1)控え柱付き火の見梯子 撮影日2012.01.14


 この火の見櫓(控え柱付き火の見梯子)を見たのは2012年の1月14日、今から10年前のこと。その時、ブログにこの半鐘について**右側の縦帯に文字が書かれているようだ。残念ながらこの写真では読みとることができない。**と書いた。

最近になって半鐘を詳しく観る機会があり(過去ログ)、濱 猪久馬という鋳物師の名前を知った。改めてこの火の見櫓の半鐘の写真(下)を見ると、縦帯の文字は濱 猪久馬と読める(星座を知らなければ満天の星を見てもランダムに星が散らばって見えるだけで星座は見えないのと同様に、濱 猪久馬という名前を知ったから読めるのであって、知らなければ読めない)。名前の右の小さい文字は松本市〇〇〇、上は・・・、二行あり、右は大正四年か? 



もう一度行って確かめようと思い、昨日(26日)出かけたが・・・。


既に火の見櫓は撤去されてしまっていた。残念としか言いようがない。火の見櫓はともかく、「半鐘は文化財」という認識があれば、どこかに保管されているかもしれないが、どうだろう・・・。

今も撤去されずに立っていれば半鐘をもっときちんと写すことができたのに・・・。偶々半鐘の写真に鋳物師の名前が写っていた。このことを幸運だったと思うことにする。





火の見櫓周辺の様子を示すなら、上掲2枚の内、下の写真の方が好ましい。以前はこのことをあまり意識していなかった。反省。


*1 この火の見櫓の所在地を松本市内田としていましたが誤りでした。内田地区から250mくらい寿地区に入った、県道287号沿いに立っていました。拙著『あ、火の見櫓!』にもこの火の見櫓を載せて所在地を松本市内田としていますが松本市寿です。申し訳ありません。お詫びして訂正します。


「ぼくのおじさん」北 杜夫

2022-07-27 | A 読書日記



 北 杜夫の『ぼくのおじさん』(新潮文庫1981年)を読んだ。この本を1981年の6月7日に、当時住んでいた国立にあった東西書店(*1)で買い求めて読んだことが奥付に書いたメモで分かる。

この本には9作の児童文学、童話が収録されているが、表題作の「ぼくのおじさん」が最も長く、厚さがおよそ1cmの本の半分以上を占めている。

ぼくの名前は雪男(ゆきおとこ、じゃない)。ぼくにはおじさんがいる。おじさんはぼくのおとうさんの弟で、ぼくの家に居候している。おじさんは万年床でたいていこどもマンガを読んでいる。でもおじさんはなんと学校の先生、それも大学の、臨時講師だけど・・・。

ぼくの友だちのあるおじさんは宿題を教えてくれるし、あるおじさんは動物園へ連れていってくれる、あるおじさんはお小遣いをくれる。だけど、ぼくのおじさんは宿題はやってくれないし、動物園にも連れていってくれない。お小遣いだって自分がもらいたくてピイピイしている。野球の人数が足りないからおじさんに頼んだら、ピッチャー以外はゴメンだと言う。おじさんをピッチャーにしたところ1対38で負けてしまった。

学習雑誌社の作文コンテストでぼくの作文が二等になって、おじさんとハワイ旅行に行くことに。その頃おじさんは当選すれば外国旅行、という懸賞に応募していたが、ことごとく外れていたのだった。

おじさんは雑誌社の編集長と会ったとき、四か国語がペラペラしゃべれると言っていたのに、ハワイの税関では係官の質問に答えられずに、トランクを開けられてしまって、うめぼしのつつみやノリのカンをひっぱりだされて質問攻めにあう。おじさん大汗。

この後、ハワイでの出来事がユーモアたっぷりに描かれる。

おじさんはホテルの風呂の使い方をぼくに教えてくれたけれど、シャボンはたくさん使わなければ損だと言って、アワだらけになってアップアップ、立ち上がろうとしてすべってころんでしまったり、ぼくと別行動して警察にひっぱられてしまったり・・・。

読んでいると、ぼくがこのおじさんのことが好きだということが伝わってくる。作品に漂うほのぼの感が好い。

この小説は中学生向けに書かれた(*2)。北 杜夫はこのことを踏まえ、ぼくがハワイで知り合った日系三世のヘンリー・佐藤君のおとうさんの話を受けて次のように書く。**どんなにきたなく、戦争に負けた国であっても、そこはぼくが生まれた国にはちがいない。それをよくするのもわるくするのも、みんなぼくたちの生き方によるのではなかろうか。**(131頁)

さらに「ぼくのおじさん」の「あとがき」にも**世界は、いろんな国がそれぞれに協力して、よい世界にならねばなりません。自分の国の都合だけ考えていてはいけません。みなさんも、日本の国のことをまず知り勉強するとともに、日本と世界との関係ということも学んでいってください。そうすることが、世界をよりよくすることだと思います。**(141頁)と書いている。

*1 ネット情報によるとこの書店は2015年の8月31日に閉店した。
*2 この小説は旺文社の「中二時代」に昭和37年5月号から連載が始まり、翌年「中三時代」の4月号で終った。
『ぼくのおじさん』は2016年に映画化された。DVDがあるだろうから、借りてきて観よう。