透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「雪国」

2022-07-05 | A 読書日記

 『雪国』川端康成(新潮文庫1947年発行 2020年157刷)の再読を終えた。読むたびに小説の印象も感想も少し違うが、今回はこの小説は始めと終りの情景描写に尽きると思った。

始めは雪国に向かう夜行列車に乗り合わせた若い女性の描写、それから終りは宿の近くの繭倉が火事になった夜の天の河の描写。長くなるがそれぞれ引用する。なお、太文字化は筆者による。

**外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明かりがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり濡れているから、指で拭くまでその鏡はなかったのだった。**(8頁)

**鏡の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが溶け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が胸が顫(ふる)えたほどだった。**(10頁)

このように、夜汽車の窓ガラスが鏡になることを説明した後、その窓に夕景色と重なって写る若い女性・葉子を描写する。

**「天の河。きれいねえ。」
駒子はつぶやくと、その空を見上げたまま、また走り出した。
(中略)
天の河の明るさが島村を掬い上げそうに近かった。(中略)裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとして、直ぐそこに降りて来ている。恐ろしい艶めかしさだ。島村は自分の小さい影が地上から逆に天の河へ写っていそうに感じた。天の河にいっぱいの星が一つ一つ見えるばかりでなく、ところどころ光雲の銀粒子も一粒一粒見えるほど澄み渡り、しかも天の河の底なしの深さが視線を吸い込んで行った。**(163頁)

宿の近くの繭倉が火事になり、島村は駒子と現場まで行く。途中、目にした天の河を描写する。

『雪国』は川端康成の射るように鋭い観察眼と繊細な美的感性が創り出した、文学作品の白眉だ。


2007年にも『雪国』を読んでこのブログに書いている。その時も今回書いた場面に触れてはいるが、エロティックな描写についてかなり書いている(過去ログ)。