■ 今日、23日の朝日新聞のオピニオン面に生活文化アナリスト・高井尚之さんの**仕事の場「異日常」で刺激**という見出しの記事が載っていた。異日常という言葉があることをこの記事で初めて知った。
記事で高井さんはスターバックスなどのカフェチェーンで一人でパソコン作業をするスタイルが2010年ころ出現して10年代後半にはだいぶ一般化したと指摘し、その理由について次のように書いている。
**わざわざカフェで仕事をするのは、そこに「異日常」があるからだと思います。非日常というほどではないけれど、自宅とは違う。周りのざわざわした声が適度な刺激になるから、時々日常を使い分けているのでしょう。**
私は週に2回、この頃は大概火曜日と木曜日の午前中1時間から1時間半ほどスタバで読書をしている。このことについて以前は異日常という言葉を知らなかったから次のように書いていた。
**日常の中で非日常なひと時を過ごすつもりで始めた朝カフェ読書だったが、週2回のペースの今ではすっかり日常、となった。**(2020.12.17)
日常と非日常。日常に中には別の日常、異日常があるという捉え方か・・・。なるほど。
では、なぜスタバに異日常を求めて週2回も出かけるのか。自宅でドリップしたコーヒーを飲みながら本を読んでもよいではないか。それは日常生活にめりはりというか、変化を求めているから。
高井さんは最後に**いい店というのは、それぞれの時間を楽しめる店だと、私は思います。本を読む人の隣で、おしゃべりする人も、静かに仕事する人もいる。元々カフェや喫茶店は、多様性が持ち味なのですから。**と書いている。
私は以前次のように書いた(過去ログ)。
**平日の朝、このスタバの2階を利用するお客さんは、大概ひとりで席に着く。パソコンで作業をする人、参考書を開いて勉強する人、私のように本を読む人。皆似たようなことをしている。
スタバの建築空間そのものが魅力的だから利用を続けているのだろうか。自問するにどうもそうではないような気がする。同じような目的の人が空間を共有しているという状態が心地よいのだと思う。**
休日にスタバを利用することがほとんどないのは、混むこと、それから平日とは客層が変わって上記のようにはならないから。