路上観察 すずめおどり(060615)
■ 諏訪地方を走行中に見つけました。上の写真:破風板を交叉させていますが、すずめおどりは付けていません。すずめおどりで飾るほどではないという、この建物の持ち主の判断でしょうか。
一般的に破風板は頂部で留めにするのですが、この地方ではなぜこのように納めているのかは解りません。屋根棟に木や竹を×型に交叉させた千木を置くことがありますが、それと何か関係があるのかなとも思いますが、ただ単にかたちが似ているだけなのかも知れません。
下の写真:それほど古くない住宅です。二つの棟の端にそれぞれ同じデザインのすずめおどりを付けています。偶然二つがくっついているように見えるアングルになりました。どちらの写真も車を路上に停めて大急ぎで撮影。じっくり観察はできませんでした。
○梁の端部、柱や壁との取り合い
下の写真は上の写真で右側の壁とぶつかっている梁の端部の詳細です。この梁の長さは5間半、約10m。太さは2尺、60cm位はありそうです。この梁を円柱と見なして計算し、重量を求めてみると、どうやら1.5トン!位はありそうです。普通乗用車の重量の約1.5倍。
在来木造の梁で一般的に使用される長さ2間、3.6mの梁の重量は50kg位ですから、約30倍!ということになります。 朱色の箱の上の梁のところで重ねるようにして繋いでも構造的には成立すると思いますが、敢えて一本の梁を使ったのでしょう。この吉島家住宅が建てられたのは明治の末期、当時の職人達の心意気を感じます。
このような建築を保存することも当然必要なことだと思うのですが、それを支える職人達の技術の継承も国の責務として行なう必要があると思います。それも職人達の高齢化を考えると急務だと思うのですが・・・。
深刻な病巣が写っているレントゲン写真を見せられても、それを指摘することは私には出来ない。読影に関する知識が皆無だから。星座に関する知識が無い私には、星座が見えない。このふたつの例は知識が無くては見えないもの、受容できないものがあるということを端的に示している。
絵画や彫刻などの芸術作品は、この場合とは異なりその作品に関する知識が無くても、感性のみで鑑賞することができる。但しその作品に関する知識があれば、より深く楽しむことができるだろう。
「美の壷」や「新日曜美術館」などのテレビ番組は、このような考えに基づいて制作されているように思われる。 建築は知性と感性との統合によって受容されるということを以前書いた。このことは建築に限らずすべての場合に当て嵌まる。名庭の場合も勿論例外ではない。
この本では庭園研究25年という著者が京都の名庭を二十数例とり上げて時代背景や建築との関係、作庭の意図などに関する「知性、知識」によって、私には「見えないもの」を見せてくれている。
龍安寺の石庭は有名だが、作者は誰なのか、いつ頃の作品なのか、石の配置の意味するものなどについては分からないことが多く、諸説あるようだ。これらについても著者なりの見解が示されていて、興味深い。
今年の1月末に気心の知れた昔の同級生たちと京都へ「修学旅行」に出かけたが、この本を読んでいたら、この名庭の見え方が変わっていただろう・・・。 解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、と書いたのは確か小林秀雄だった。どのような文脈上でこう書いていたのかは忘れてしまったが・・・。
この石庭からは、「多様な解釈ができるものは美しい」とのメッセージが伝わってくるように思う。 またいつかこの名庭を訪ねてみたい。
ガンバレ!日本
建築と本だけって・・・。いいでしょ、ルール外したって。シュートは外さないで!この時期、サッカーのワールドカップモード 全開!って人多いでしょうね。オーストラリア戦、勝ち点3をもぎとって!
上:烏威し(060531)下:烏威しと懸魚 060611
■ またの機会になどと考えていると、いつのことになるのか分からない・・・。
懸魚(げぎょ)のついた民家が友人の家の近くにあることを思い出しました。車で出かけて、写真を撮ってきました。上の写真になくて下の写真にあるのが懸魚です。
いろんなデザインがあります。 烏威し(からすおどし)は木のままだと傷みやすいので、最近ではこの写真のように鋼板で包むようになりました。よく見ると板金屋さんのセンスによって葺き方が工夫されています。この二つも違いますね。
*川島宙次氏が『民家のデザイン』相模書房で「烏威し」と漢字で表記してい たので、今回はそれに倣いました。
吉島家住宅外観 中央が入口どうじ
高山市内の住宅外観 060610
■ 高山地方では持ち出し梁や庇を支える腕木、垂木などの木口を白く塗っている。これがアクセントとなっていて美しい。写真を見ると吉島家住宅でも行なわれていることが分かる。
木口(切断面)は水を吸い易く腐朽しやすいことから、それを防ぐ目的で塗装したものが、意匠的に次第に洗練されてきたものだろう。梁や垂木の木口を銅板で包むのも本来の目的は同じ。 懸魚も元々は棟木の木口を塞ぐ目的だったのだろう。
以前書いた諏訪地方のすずめおどりも破風板端部の木口を塞ぐ板に意匠的な遊びを加えたものだと思う。
懸魚って何? 手元に写真が無いので、別の機会に紹介します。
○仏間から中庭を見る(060610)
中庭と通りを仕切る高い土塀。障子の白と塀の紅殻との対比が美しい。
○なかどうじから奥のギャラリーを見る
ギャラリーの壁は現在では大半がグレーだが、以前は全体が紅殻だったようだ。展示空間の背景の壁としてはグレーの方が好ましいのかもしれないが、建築的にはやはり紅殻だろう。それも塀のような少し薄めの色がよさそうだ。
この吉島家住宅では、入口どうじの奥行きがあって低い天井の空間によって、吹き抜けの空間をいっそう際立たせている。高窓からの光によって視線を自然に上方の小屋組みに誘導する・・・。 この卓越した空間構成には驚くばかりだ。
東京の友人のブログが吉島家住宅再訪のきっかけとなった。 感謝。
○束柱と小梁の構成美
吉島家住宅を観に高山まで出かけて来た。友人のブログに触発されて。
この吹き抜けの空間! 土間と畳敷きの部分とが吹き抜けの一体の空間として開放的に構成されている。大黒柱に架けられた二本の梁。その上に、梁間方向に架けられた太い一本の赤松の梁。
弓張提灯を納めてある紅殻色の箱が空間のアクセントとして効いている。 太い梁から吊られた束と極薄い見付けの鴨居、そこに閉てられた衝立のような二本の障子。この構成は白眉だと思う。
空間を「おうえ」と「なかおうえ」とに軽く仕切る腰高障子、仕切り方が絶妙。 高窓から差し込む光が、時の経過とともに空間に変化を与えるということは経験的に容易に想像できる。
光による吹き抜け空間の演出。 長い年月をかけて飛騨の匠達によって培われてきた技と美、その見事な結実。
繰り返しの美学 小谷小学校体育館 060609
■ 建築の構成要素をきちんと秩序づけて繰り返し用いることは知的な、換言すれば数学的な操作だと思う。それ故「繰り返しによって生ずる美」は建築の受容者の感性ではなく知性に訴えかけてくる「美」だと理解できよう。この小学校では白くペイントされた鋼管の方杖が多用されているが、体育館での「繰り返し」が特に美しい、と思う。
○小谷小学校(060609)
小谷村立小谷小学校。「こたに」ではなくて「おたり」と読みます。この4月に新しい小学校が完成しました。村内の3校を統合して出来た小学校です。
昨日、見学会がありました。 全国の大半の小中学校は明治以来ずっと変わらない平面計画が採られてきています。即ち一列に並んだ教室と、それらを繋ぐ単調な廊下、いわゆる「片廊下型」です。それに対して、この小学校はいわゆるオープン型。多様な学習プログラムに対応できるように自由度の高い空間が創出されています。設計は湯澤正信さん。 数年前から村では新しい小学校についていろいろな観点から検討してきたようです。ワークショップが何回も開催されています。
この自由度の高いオープンな施設をフルに活用して十分な「教育効果」が得られるよう・・・、おっとこれは従来の「教える側からの視点」でした。この小学校は「子供達からの視点」で捉えて計画されています。ですから、ちょっと理屈っぽいですが「教育効果」ではなく「学習効果」ですね。十分な「学習効果」が得られるように願っています。 小谷村の英断に拍手です。
○畑の中の現代建築(060604)
アルコールな週末の会話
「とりあえず、生二つネ」
「このデジカメ、画面が大きくって見やすいっすね」
「でしょう、それで決めたの」
「で、なんです?この写真、なんだか畑の中ですね」
「いいでしょう、これ」
「ほんと、で何なんです?、これ」
「どうやら堆肥舎らしいんだよね」
「おんなじパターンの繰り返しって、なんか綺麗ですね」
「そう、出江さんのいう、繰り返しの美学って、きっとこういうのだね」「エ?、イズエさんって、あの建築家の出江寛さんのことですか」
「そう、あの独特の美を追求した出江さんが、確かそういってた」
「あ、すみません 焼き鳥適当にお願いします。それから・・・ 何か頼みま す?」
「じゃ、冷やっことオニオンスライス」
「ヘルシーメニューじゃないですか、あ、それから肉ジャガもお願いね」
「屋根は折板ですか?」
「たぶんね、写真だとよく分からないけれど、たぶんそうだと思うよ」
「そういえば路上観察とかいって最近ブログにのっけてますね この写真も載せたらどうです?」
「そのつもりで撮ったんだよ」
「Yちゃんの好みかも知れませんね、こういうの」
「やっぱ、そう思う?僕もそう思うよ」
「ペース早いっすね。 すみませ~ん、おかわりくださ~いッ!」
駅は重要な役割を担ってしばしば映画に登場する。この本は映画に登場するヨーロッパやアメリカそして日本の駅を数多く取り上げて、駅が映画の中でどのように登場し、どのような役割を果たしているのかを論じている。優れた映画論であり、優れた建築論でもある。 著者は大学で土木工学を修め、旧国鉄に入社した方で、現在北海道旅客鉄道の常務。
都市の歴史を刻む駅、都市のランドマークとしての駅が映画では格好の舞台となることはよく解る。物語の始まりで主人公が降り立つ駅、エンディングで主人公が列車に乗り込む駅・・・。映画に登場するいくつかの駅が写真で紹介されているがヨーロッパの駅の重厚な存在感には圧倒される。
日本では建築の建て替えがはやいが、駅も例外ではなく、全国の都道府県庁所在地の主要46駅のうち、初代の駅舎が原型を留めているのは、なんと東京駅だけだという。長野県でも松本駅や長野駅が凡庸な(と書いたら設計者に失礼かも知れないが)駅に建て替えられてしまった。
著者も指摘しているが、駅には恋愛それも悲恋がよく似合う。でもその舞台に相応しい駅は、日本の都市部にまだあるのだろうか。邦画に登場する印象的な駅舎は北海道を始め、鄙びた地方のものが多いように思う。
今年の4月、東京のイイノホールで「建築と窓」について講演を聴いたが、その中で「映画と窓」についても話が及んだ。観る人の関心の所在によって映画の捉え方が違うのだと改めて思った。
そう、映画も観る人の知性と感性とによってそれぞれに受容されるのだ、建築と同様に・・・。
左:伊那市章 右:みどり市章
力強い二つのアルプスは市の飛躍・繁栄を、桜の花びらは文化・歴史、そして下に流れる清流は輝かしい未来への発展を意味し、伊那市の美しく豊かな自然を表現しています(伊那市のHPから引用)。
長野県内で唯一未定であった伊那市の市章が決まったと先日新聞で知りました。二つのアルプスとは中央アルプス、南アルプスのことでしょう。旧高遠町は桜の名所、清流とは当然天竜川のことでしょう。
市町村章については以前も書きました。かつての「章」は市町村名の頭文字などを幾何学的に、シンプルにデザインしたものが多かったのですね。 例えば川上村は「か」、高森町は「た」、阿南町は「ア」、清内路村は「セ」、小川村は「小」、野沢温泉村は「の」、大町市は「大」・・・もしかしたら一番多いパターンかもしれません。
それに対して今回の合併で出来た新市町村の「章」は伊那市やみどり市(群馬県)のように具象的なデザインが多いような気がします。少ない実例を以って一般的な傾向のように捉えることはNGなんでしょうが・・・。
現代人は感性が鈍ってきていて抽象的なデザインでは、その意図がピンとこないから・・・などとその理由を捉えるのは早計に過ぎるでしょう。
今回の合併に伴っていったいどのくらい新しい「章」が出来たのか知りませんが、時間があれば調べてみたいものです。小学生の夏休みの自由研究にいいかもしれません。
以前の章と新しい章には異なる傾向がはっきりと窺えるだろ、私はそう推測しています。 どのような理由によるのかは解りませんが、どんな分野のデザインにも潮流があるようです。
**その瞬間、運命もさかさまに転覆し始める。**
いつも感心します、映画のコピーってうまいな~ッ と。
建築基準法の第2条に建築物が定義されています。「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱もしくは壁を有するもの」まだこのあと続くのですが、省略します。土地に定着していることが前提条件ですから、ポセイドン号のような船は法的には建築ではありません。でもレストランあり、ダンスホールあり、カジノあり、プールあり、豪華な客室ありと何でもある客船は洋上の巨大なホテルといってもいいでしょう。
そのホテルが新年を迎えたちょうどそのとき巨大!な高波に巻き込まれてあっという間に転覆してしまいます。それまでの天井が床に、床が天井に・・・。4,000人以上のいた乗客は一瞬にして数百人に。そしてパニック映画のスタート。
ストーリーは至ってシンプル。わずか10人くらいの(人数は正確に覚えていないので)乗客が「生」をめざして、船底に向かって危険を冒して「迷路」を進んでいき、そのうちの何人かが船外への脱出に成功して助かる・・・、それだけ。
どこからどのように船外に脱出したかはこれから観る人のために書きません。激しく浸水してくる船内。天井照明の付いた「床」を歩いたり、水中を泳いだり、細いダクト内を匍匐(ほふく、葡萄(ぶどう)って漢字と似ていますね)前進したり、エレベーターシャフト内を移動したり・・・。こんなにしてまで、生きなくてはならないのか・・・。
この映画、34年も前の「ポセイドン・アドベンチャー」のリメーク版だそうですが、テレビで観たことがあるような・・・記憶が曖昧です。確かおばあさんが出ていたような気がするけれど、今回は脱出組に、おばあさんはいませんでした。
ハラハラ、ドキドキのパニック映画でしたが、もう少し人間ドラマにして欲しかったな・・・。ということで私の評価は ★★★☆☆
ダ・ヴィンチ・コードは私には到底理解できないだろうと読む前から、観る前から諦めました。
高知県梼原町の民家(8003)
■『日本の民家』山と渓谷社(8002購入)に載っていた写真をみて、実際に見てみたい、と高知県の四万十川上流の鄙びた里に出かけた。今から26年も前のことだ。
入母屋造りの屋根の棟飾りに感動して望遠レンズを使って撮った写真。
当時の記録を再掲しておく。
**緩やかな山の斜面に建つ草葺屋根の民家。畑道を上っていくと、日当たりの良い庭先に洗濯物が干してあり、草花が咲いているのに気がつく。僕はそこに素朴な生活を見て、感動してしまう。 民家を観察すると、それが自然環境、社会環境という外的条件と、寝食、作業という内的条件の両者に実にうまく対応した合理的な姿であることが解ってくる。 先人の創意工夫、優れた造型感覚の結実した民家から学ぶことは尽きないのではないか、と僕は思う。**